鬼嶋【第1話】

2019年10月29日

 鬼嶋安吾の性格と能力は、ある程度の下調べが済んでいた。
 馬鹿ではないが、集団の定めた法よりは己にとって最適な道を選びがちであるため、輪からは外れる。
 根のところ、暴れる機会を求めてやまないんだろう。無意識に騒ぎが大きくなる方を望んで動いているのだとしたら、大したものだと思う。
 他人に対して、さして気を配るつもりもないらしく、己があるがまま、不機嫌を隠すことも苛立ちを胡麻化すこともなく生きる。

(うってつけだ)
 能力的にも、性格的にも、敵として不足はない。
 一人で夜道を歩いていて襲われたとして、連絡する先など彼にはないだろうと佐島は読んだ。仮にあったとして、負けそうだから助けてくれと言えるようなプライドでもないだろう。
「鬼嶋」
 歩いている途中で呼び止められ、鬼嶋はぴたりと足を止めた。
 知らないやつから名を呼ばれるのに、慣れているんだろう。
 切り込み隊長を担うのなら、顔は売れているに違いない。
「知らねェツラだな」
 帰路を邪魔された鬼嶋は、不機嫌そうだった。
 黒い着物に下駄、菅笠姿の帯刀した男を見て、鬼嶋は一層、眉根を寄せる。
「仮装ならよそでやれ」
 だが背中を向けることはしなかった。こちらの殺意は伝わっているらしい。
「死合だ」
 そう告げて刀に手をかけると、鬼嶋はにやりと笑った。
「ハ、上等だ。ツラの骨叩き折ってやる」
 佐島が身を深く沈めた瞬間、鬼嶋が地面を蹴った。
 武術の心得があるわけでも、型を会得している訳でもない。
 ただ日々の喧嘩で培われてきた、荒々しいながらも無駄のない拳が真っすぐに振り下ろされる。
 それを、手で軽く払った。
 力の向きを変えさせるような器用な真似はしていない。単純に、向けられた拳が当たる前に、鬼嶋の手首を横からどついただけだ。

「チッ」

 鬼嶋は舌打ちした。
(理解が早いな)
 空振りする前に、攻撃が届かなかったことを判断する瞬発力はあるらしい。
 隙を見せない、良い動きだった。
 かと思うと、踏み込んだばかりの足をバネにし、一気に足を蹴り上げてくる。
 当たる前に後ろへ下がり、足の射程から離れた。

「何物だテメェ」

 鬼嶋に、ようやく敵意が見えた。
 簡単に殴り飛ばせると高をくくっていたんだろう。
 ようやく本気を出すつもりらしい。
 拳をきつく握り、敵意をあらわに睨みつけてくる。
「辻斬りだ」
「そうかよ、知らねェわ」
 佐島は抜刀した。
(異能力は使えないか)
 試してみたいのは、その腕だ。
(人間のまま、鈍ら刀で、金剛石を切れるか、否か)
 彼の持つ異能力は、自分の腕を硬質化させるものだ。

 それ以外は生身の人間とそう変わらない。

(そうだ。腕以外は、生身の人間だ)
 ふと、切っ先が鈍るのを感じた。
(なのにどうして、この男はこうも苛烈なんだかな)
 性分の問題といえばそれまでだ。
 喧嘩が好きなのか、そうでもしないと魂のどこかがすり減ってしまうのか、性格の細かい話までは、佐島は知らない。
 だが、今こちらへ敵意を放つ鬼嶋の姿に、思うところはあった。
 死合う前に確かめようと、納刀する。
「鬼嶋」
 不意に、問いかけが口をつく。

「何があって、そう荒ぶるんだ。お前は」

「あぁ゛?」
 問いかけの意図は分かっていないんだろう。
「何ワケの分からねェことほざいてやがる」
「腕を知りたいのか。人が壊れるのが好きなのか。拠り所がないのか」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ......!」
 怒鳴り、鬼嶋は腕を一気に硬質化させた。
 月明かりに、金剛石がきらめきを放つ。
 磨かれることも、整えられることもない。
 ただ硬さにだけ意義を持つ原石の金剛石は、鬼嶋にどこか似ていると思った。

「ただ思ったんだよ」
 佐島の口調が、わずかに緩んだ。
「ただ生きているだけでそれほどの怒りを持て余すんなら」
 言葉は、最後まで続かなかった。
 鬼嶋が一気に間合いを詰めてきた。下から顎を打ち砕かんとするばかりの、強烈なアッパーを放つ。
 足の踏み込みも、腰の回転も、綺麗に揃っていた。
 自分の口上が気に入らないだけでこれほどの動きを見せるのだから、やはり只者ではないらしい。

(師が居れば、もっと化けるだろうに)
 と惜しく思うのは、佐島の根が武道家だからだ。
 だが感心してばかりもいられず、迫る拳を前に、佐島は咄嗟に得物を犠牲にした。
 抜刀の速度で、鬼嶋の拳に刀身を叩きつける。
(もっと見極めてから、斬ってみたかったんだが)
 だが今は、刀でひとまず受け止めるのが正解だろう。でなければ顎がやられていた。
 硬い手ごたえがあり、腕が痺れる。
「くッ」
 刀を取り落としそうになった。だがどうせ、刀身が歪んでいる以上、今夜はもう使い物にはならない。
「オラぼっとしてんじゃねぇぞ!!」
 鬼嶋はすでに体勢を整えていた。鋭い呼吸音と共に、二発目が繰り出される。
 今度もまた、刀身で受けた。
(こいつの痛覚はどうなってるんだかな)
 金剛石で覆われている間は痛みを感じないのか、それとも堪えているのか。あるいは、最初から感じていないのかもしれない。表情一つ変えることなく、刀に拳を叩き込んでくる。

 刃物に対する恐怖心が薄いのに、わずかに違和感を抱く。
(まぁ、今夜はもう引くしかないな)
 無駄なおしゃべりで刀をダメにした。
 相手が「辻斬り」を知らない以上、異能を使うこともできない。
 このままではジリ貧だ。素手での試合に、こちらは興味がさほどない。このまま戦っても、旨みはないだろう。
「今夜は引く」
「あ゛? 舐めてんのかテメェ」
「お前だって、倒すなら強い相手のほうがいいんだろ」
 鬼嶋は面倒そうに眉根をまた寄せた。眉間に、深いしわが刻まれる。
「お前はもっと、自分が探偵でいられる境遇に、感謝するといい」
 そんな言葉が、口をついて出た。
「怒りに任せて人を殺さずに済んでるのは、薄い氷の上を歩くような幸運だ。お前には殺す技術も、力も、怒りもある」
「知ったような口叩くんじゃねぇぞイカレ野郎」
「ただの羨望だ」
 答えて、背を向けた。

「おい待てよテメェ」
 鬼嶋がこちらへ駆け寄るのが分かる。
 だが足なら、佐島のほうが早かった。体力勝負となれば話は別だが、曲がりくねった勝手知ったる路地で撒くぐらいなら大した問題でもない。
「畜生! 待ちやがれクソ野郎!!」
 路地の中を、鬼嶋の声が不自然に反響した。

 帰宅するころには、二時を回っていた。
(俺のように何かを喪ったとして、その時あの男は、まだ探偵でいられるだろうか) 
 そんな想像が、頭をよぎる。
 何かを奪うつもりは無いが、そうなったときに戦っても面白いだろうと思った。
 喧嘩と殺しは違う。命を奪うことが選択肢にあるか否かで、できる動きは変わる。
 そうなったときの鬼嶋に、興味がないかと問われれば嘘になる。
 歪んだ刀は鞘に戻らなかった。二束三文の鈍らだから、大した問題ではないが、変わりが見つかるまでは不便をするだろう。
 部屋に置いていたままの携帯には、連絡が何件か入っていた。明日のバイトに来られないと、大学生が泣きついている。
(......店長に連絡しないと)
 着物を畳み終える頃には、辻斬りはすでに、なりを潜めていた。

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