祈りの話

2019年11月18日

「マジか」
  慰安旅行参加に必要な個人情報を入力している途中で、声が漏れた。
  スプレッドシートの少し上、羽仏祈子の生年月日がある。
  初めは見るともなしだった仔細だが、生年を見た瞬間、思考がわずかに停止した。
 (すげー......。なんつーか、今月一ショックかも知れん)
  名簿のリンクをクリックして、見るともなしに彼女の詳細を眺める。大した情報はなかった。
  羽仏祈子。
  初対面の印象は品がないので割愛するとして、柳の印象に残っていたのはその美貌だけだった。
  だが知り合うにつれ、その落ち着いた口ぶりや穏やかさの底には、踏んできた場数の違いや芯の強さがあること、肝の座った覚悟があることを知った。彼女からはっきり聞いたわけではない。だが時折垣間見える表情の端に、仏というよりは、修羅にすら似たような苛烈さがあることを知った。
  柳の彼女への印象は次第に、女を見るものから母を見るものへ変わっていき、現状としては「関西が生んだすげぇ美人の胆っ玉ママ」というところで落ち着いている。
  だからこそ、彼女が自分より歳下であるとは想像していなかった。
 「マージか......」

  背もたれに体重を預けると、キッと軋む音がする。


 いつだったか、任務が終わって帰ってきた柳と、羽仏が鉢合わせたことがあった。
  折れた刀を無造作に新聞紙に包んで不燃ゴミに出そうとしていたところに、羽仏が通りかかったのだ。
 「任務、ご苦労様でした」
 「あ、月子サン。お疲れさんです」
 「お怪我は?」
 「俺はヘーキです。刀が折れたんで、また総務に連絡して新人用の備品から新しいのを貰わないと」
 「訓練刀をお使いなんです?」
 「手軽で便利なんすよ。性能はそこそこだけど、変な癖もないし、量産品だから個体差もそんなに無い。折れても壊れても、また次がすぐ手に入るんで」
  羽仏は少し難しい顔をして、柳の隣に座った。
 「これは、あくまで私の経験の話で、柳さんの人生とはそぐわないかもしれないんですが」 「聞きますよ」
 「関西に、不敗の鬼と恐れられた捜査官の男性がいらっしゃいました。どんなに不利な状況でも決して敗れることはなく、自分もバディも、怪我をせず帰還する」
 「バケモノですね。都市伝説じゃなくて?」
 「本当に居た人ですよ」
  ふふ、と羽仏は笑う。
 「その方が、常々おっしゃってました。『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』」
 「松浦静山ですか」
 「さぁ。私は誰の言葉かまでは存じ上げないのですけれど。だけどその方は、出かける前は必ず、隅々まで刀の手入れを確認して、最後に、祈っていらっしゃいました」
 「......祈り、ですか」

 その言葉は、羽仏の結界術を彷彿とさせるものでもあった。
  思うところはあるのか、羽仏は軽く頷き、先を語る。
 「折れず、曲がらず、遍く全てを救うまで、我が鉾、我が矜持たれと」
 「そりゃ......その人が鬼になれたのもわかる気がしますね。背負うものが太い」
 「えぇ。......一概に言えた話では無いかもしれませんが、誓いは、命を強くする。死ねない理由や折れない理由があるから、無意識のうちに尽くす最善が変わると、仰っておりました」
 「......つまり、あー、俺も何か、お祈りしたほうがいいですかね。それとも、刀をもっと丁寧に扱え、とか?」
 「いえ、そうではなくて」
  羽仏は首を振って、少し苦笑した。
 「柳さんは、自分にできることの数を知っている人です。だから、自分で終わらせようとすることも多いでしょう」
 「まぁ」
  「だから、他に僅かでも頼ることを、好まないのかなと思ったんです。たとえ刀であっても、替えが効かなくなっても大丈夫なように、性能への依存を避けていませんか」
 「あー......」
  羽仏の言葉は穏やかだった。責めるわけでも、指摘して恥をかかせるわけでもない。ゆえに、柳の腹にストンと落ちた。
  柳はしばらく、返事に詰まった。

「......そう、かもしれないっすね......、いつダメになっても大丈夫なように、備えてるのは、......俺、よくやるかもしれません」
 「それが、柳さんの生き方なら良いんです。だけど、不敗の鬼ですら、刀に祈って、神に心を預けた。......祈りは、不思議です。即物的に見れば、何も生まないはずの時間です。だけど、それはもしかすると、寄り添いや、託しなのかもしれない。それで柳さんが楽に、なれるなら」
 「......祈れ、ってより、頼れ、ってことです?」
 「そういうのも、アリかな、ってお話です。今日は、無事でよかった」
 「たまたまですよ。いつまでも続くラッキーじゃない。......俺、羽仏さんがなんかの教祖なら今入信してたかもしれないっすね」
 「ふふ。シンプルに斬れと教えるだけですよ。浅いものです」
  長話を失礼しました、と、羽仏は立ち上がって、そこでその話は終わりになった。

  刀の手入れは他人任せにして、ろくに面倒など見ていなかったことを、柳はかえりみた。


「月子サン」
 「あら、柳さん。お疲れ様です」
  スコーンと茶葉を持って訪れると、羽仏はにこりと出迎えた。
 「良い匂いですね」
 「昼休み30分並んで買ってきました。今なら焼きたてですよ」
 「それはわざわざありがとうございます。じゃあ、お茶にしましょうか。ちょうど小腹も空いていたので」
 「ヤッタァ」
  羽仏がティーポットに茶葉を入れる手つきを眺めながら、柳は頬杖をつく。
 「そういや月子サン、俺よか1つ歳下だったんすね」
 「そうですよ?」
 「なんだ、知ってたんスか」
 「知らなかったんです?」
 「今日知ってすげーびっくりして。『月子サンじゃなくて月子ちゃんじゃん』って」
 「ふふ、そこなんですね」
 「いやもー、全然知らなかったから......そんな大したことでもねぇんですけど」
 「柳お兄さん、とお呼びしたほうがよいでしょうか」
 「え、それはそれで照れますね......」
  茶葉が開いて、柔らかな茶の香りがする。
  「いただきます」
  羽仏は両手を合わせて、スコーンを口に運ぶ。

 その僅かな仕草に、柳はふと、彼女の祈りを重ねた。

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