煙草の話

2019年11月01日

 柳と久保渚が出会ったのは2年ほど前の事で、その時の柳は意識がなかった。
 意識を取り戻したところで、久保はわざわざクランケを励ましに来るほど交流熱心な医者でもなく、柳も医者に命を救ってくれた礼を言いに行くほどマメな性格をしていなかったため、二人が遭遇したのは、柳が入院してから一か月後、退院許諾が下りた日だった。
 しかし、ようやく顔を合わせた久保が柳に投げた第一声は「呆れた生命力だな、もうだめかと思ってたんだが」とのそっけないものであり、それに対する柳の応答も「看護師かと思ったら主治医お前だったのな。若くてびっくり」との率直なものだった。

 そこで特段何を思うでもなかったが、両者ともに煙草が手放せない身体だったため、喫煙スペースが徐々に削減されるにつれて、顔を合わせる機会が増えた。
 そのうち、コマした女がダブっていたり、少し遠くのデート用のバーでばったり遭遇したりと、生活圏がかぶり始め、徐々に相手を認識し始めた。

「なぁ」

 と最初に声をかけたのは柳の方で
「今日暇ならツラ貸してくんない? 女の子と遊ぶんだけど、あっちが思ってたより多いから。悪い話じゃねェだろ?」
 との遊び人然とした誘いに
「どれ連れて帰っても恨みっこなしなら行く」
 と、気乗りしないわけでもない久保が応答して以降、何とはなしにつるみ始めた。

 といっても、柳も久保も、付き合い始めた当初の頃は、女とより手軽に遊ぶための手段程度にしか互いを認識していなかったし、そもそも男との交友を深める暇があったら顔と身体が好みの女と懇意になる方がよほど有意義だと考えていたため、二人の仲そのものは、ひどく淡泊だった。
 それがうだうだと付き合い続けるうち、いつしか気の置けない仲になった。



 紫煙がたなびく。深く煙を吐き出しながら、天井のシミを見るともなく眺める。
「おい」
 不意に、カーテンが開かれた。
「寝たばこするなって、言ってるだろ」
 久保に声をかけられ、柳はおっくうそうにうめき声をあげた。
 久保の医務室のベッドを勝手に借りて一服していたのだが、やはり煙で知られるらしい。
「仕事は?」
「これも今日の業務だから。半月に一度診察受けろって、労務から言われてるんだよ」
「ハ。医者に言われる前にベッドで寝る患者がいてたまるか」
 携帯灰皿に煙草を押し付けて起き上がって診察室へ移動する。
 久保はすでに椅子に座って、先ほど看護師が撮ったばかりのレントゲン写真を眺めていた。柳の骨には、ところどころ黒い痣が浮いている。
「どう? 俺そろそろ死ぬ?」
「前回の診療では、進行無しだった。今回はどうだかな」
「顔見た感じとか、雰囲気とかでわかるだろ。お前名医なんだから」
「お前余命半月だよ」
「うわヤバ。もっと遊んどくんだった」
「はは。まだ遊ぶ気かよ」
「うそうそ。でも正直ガチで半月って言われても意外と思い残すことねぇや」
「ふぅん、そんなもんか」

 久保はレントゲン写真を指で示す。
「腰から太ももにかけての骨が、だいぶ染まってる。でも臓器に転移はしていないし、引き続き鎮痛剤と抑制剤で様子見するしかない」
「リアルな話、俺あと何年ぐらい白い骨で生きてられる?」
「さぁな。途中でまた大けがでもすれば事情は変わるし。この怪我してから、どのぐらい経つ?」
「あんま細かく覚えてねェなァ......。久保がこっち来たばっかの頃だから多分その辺」
「じゃあ二年半だ。それでここまで進行した」
「ふぅん。じゃあ単純計算で、骨が全部染まるまであと15年ぐらいか。44歳ならまぁ、引退しても許されっかな......」

 呟く柳に、久保は少々難しい顔をした。
「骨髄の手術をすれば、もしかすると進行を食い止められるかもしれない。前にも話したが」
「前も言ったけど、それはあんま惹かれねェんだよな。ドナーとか募らなきゃなんねぇし。顔合わせたことない他人が体内に入るの気食悪いし、顔知ってる知人だったら重すぎて無理だし」
「ま、お前の人生だからお前の好きにすればいい。痛みで足腰立たなくなってから泣きつくなよ」
「はは、ありそーでヤだなそれ」

 久保は何かを言いかけて、しかし口を閉じた。やがて、代わりの言葉を選ぶように言う。
「柳」
「ん」
「今夜ヒマだろ」
「暇」
「いい女紹介してやろうか」
「ミミちゃん? それとも元ミミちゃん?」
「察しがイイな」
「まぁ、お前ともそれなりの付き合いだし」
「繁華街前のいつもの駅で、21時」
「おっけ。サンキュ」
「鎮痛剤飲みすぎるなよ」
「おん。そんじゃまた」
 柳が立ち上がるのを、久保は見送るともなしに見送った。

 部屋にはまだ、柳の煙草の匂いが残っている。

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