柳徹の話 3

2019年11月23日

「柳先輩って、よく口癖で言いますよね」
  飲み会で大体の後輩は、こんな話を振ってくる。
 「『俺は絶対死なない』って」
 「そーだよ」
  俺はヘラヘラ笑って見せた。
 「だってホントだかんね。俺は絶対死なないし、こんな仕事のために死んでちゃ人生もったいない」
  後輩から、笑いが漏れる。
 「だからいつも定時なんです?」
 「そうそう。こんな仕事のために死んでちゃ人生もったいねぇもん。俺にとって仕事ってのは、金を得るための手段で、人生そのものじゃ無い。むしろ仕事の余白をどう生きるかが、人生だと思ってるからね」
 「へぇ」
  後輩たちは、わかったような顔で酒を口にする。
 「じゃあなんで、この仕事にしたんです?」
 「向いてる仕事の中でも、一番稼ぎがいいからだよ」
 「はは、柳先輩らしい」
 「生憎、お前らほど立派な大義名分のためには仕事してないよ。俺はあくまで、公務員の地位と、金だけが目的だから」
 「割り切ってますね」
 「当たり前じゃん」
  大体の後輩は、この程度のやりとりで納得する。
  他人が働く目的だとか生きる意義だとか、そんなものは酒の肴には重すぎるし、こっちだってそう深く踏み込ませる気はない。
  物の5分ばかり、笑って話せればそれで十分役目を果たすネタだ。
  俺の人生の話は、そんなものでいい。

  俺が死なない理由は、特段話す気は無かった。



 もう、何年前になるだろう。確か22歳の冬だった。
  前日に、高校の頃の友人から、王手企業の就職が決まったと話されたのをぼんやり思い出していた。
  お前はもう働いてて偉いなとか、お祝いは奢ってくれよとか、まぁ事情も知らず好き勝手言われた覚えがある。
  脳は麻痺すると、本当にどうでもいいことばかり、思い出すらしい。
 「......ゃ、なぎ、」
  ひきつれた声が、俺を呼んでいた。
  雪の上に牡丹が落ちていると思った。
  先輩の血はそれだけ真っ赤で、現実離れした美しさすらあった。
  空の真っ赤な目は、先輩を炯々と見据えていた。その大きな口の中に、先輩の腕がある。
  ボリボリと骨の砕ける音がして、ちぎれた先輩の腕は、あっけなく、この世から失せた。
  「やなぎ!!!」
  張り詰めた声で怒鳴られて、我に帰る。
 「何してる、お前の仕事だろ、あれを、アレを斬り殺すのが、お前の役目だろ!!」
  その声はまだ、現実味を帯びない。
  帯びるわけがない。
  この4年間ずっと自分を支え続けてくれたこの人が、俺を、この空を討ち滅ぼすための駒としか見ていなかったこと。
  俺の生死なんて、やっぱりどうでも良かったこと。
  この人が俺に、御守りだと授けてくれた結界術は、その実、俺がこのバケモノに喰われることで発効するものだったこと。
 「お前、は、」
  あんなに好きだった先輩の声は、歪んでひしゃげたままだ。きっともう一生、俺の心には響かない。
  先輩は眉根を歪めた。
 「お前には、生きる目的なんてないんだろ、いつ死んだっていいって、お前そんな目で生きてたじゃないか......!!」
  悲痛な叫びだった。
  緩々と、脳が記憶を再生する。彼の妻と胎児が空に喰われたのを、思い出す。
 「先輩」
  自分でも驚くほど、穏やかな声が出た。
 「もう無理ですよ。貴方は結界が張れない。俺の刀も折れた。もうダメです。撤退しましょう」
  先輩は俺を振り向いた。
  目から憎悪の涙を流し、唇を噛み締めて、睨んでいた。
  俺が死ねば、先輩の夢は叶うんだろう。
  応援が届くまで結界術が持てば、めでたく、ハッピーエンドだ。
  柳徹は尊い犠牲となった。だがおかげで素晴らしい戦果を上げられた。
  それは決して、悪い筋書きじゃないはずだ。
  残った腕で、先輩が俺の胸ぐらを掴んだ。

  血塗れでもまだ、先輩からは優しい匂いがした。それが余計に、切なかった。

「死んでくれよ、頼む」

 それはとても、素直な言葉だと思った。
 「お前が、死んでくれよ。それであの空を殺せるんだ。アイツを、殺したいって、お前だって分かってくれてたじゃないか、やなぎ」
 「は、は」
  笑いが漏れた。
 「俺ホント、人見る目ないんだなぁ」
  先輩の手を振りほどいて、歩みを進める。
  左腕は折れていたし、吹っ飛ばされた時に肋骨にヒビが入ったような鈍痛もあった。
  それでも、折れた刀の先を拾った。
  握ると手のひらが切れる。
  空の関心が、片腕を失った先輩から、俺に向くのがわかった。
  無数にある口が、牙を向いてニタリと笑う。
  見間違いでなければ、先輩の腕を貪る口の中に、核があった。
  だから、俺が喰われて核を引きずりだせば、済む話だと先輩は思ったんだろう。
 「こいよ」
  空がずるずると不定形の体を引きずり、近づいてくる。
  血の匂いを嗅いでもまだ、恐怖はなかった。
  きっともう、麻痺してしまったんだろう。
  生きても死んでも大差ないのなら、今から俺がしくじっても、成功しても、どうでもいい。
  もう、誰のための、命でも無い。
  空は瞬く間に俺の正面に現れて、大きな口を開いた。
  そこに、刀を握った腕を突っ込んだ。
  空は驚いたように口を閉じた。ガチンと、腕の付け根から先が喰われる。
  ぶちぶちと皮膚の破ける音がした。筋肉に牙が食い込み、ぢうぢうと嫌な音を立てて血をしゃぶられる。
  それでも指は確かに、まだ刀を握っていた。
  神経をやられる前に、刃を握り直す。
  急な失血で視界が薄れる中、それでも、最後に見た核を探すように、手を動かす。
  化物が口を開きなおすのが見えた。きっと頭から、俺を食うつもりだろう。


  自分が失笑する声を、どこか遠くで聞いていた。


 目が覚めると、やはりそこは病室だった。
 十日間ほど眠り続けていたと、担当医は驚くでもなく言った。腕の神経は問題なく、骨折も、俺なら1ヶ月程度で治るだろうとの診断が下る。
  先輩はその日のうちに義手をつけて、バディの解散届を出したらしい。彼が最後に提出した報告書によると、妻と子の敵である空は、討てたとのことだった。
  俺の身体に彼が施した結界は綺麗に消えていた。
  置き手紙も何もなかった。
  意識を取り戻して3時間ほどで、先輩が見舞いに来た。
 「ありがとう」
  と彼は言った。
「 あー、どういたしまして」
  他にどう言えば良いか分からなかった。
  彼の愛を問いただすつもりもなかったし、彼に愛されないと生きていけないほど弱くもなかった。
 彼は俺をじっと見ていた。
  そのまま立ち去ってくれれば良かったのに、口を開いた。
 「君のおかげで、素晴らしい結果を残すことができた。死んだ妻も、喜んでくれていると思う。だけど俺は、君を、利用して傷つけたこと……本当に、心から、悪かったと思ってる」
 「......ハッ」
  嘲るような、笑いが漏れた。
 「俺が傷付いたって、本気で言ってますか?」
  黙っていて欲しかった。
  何も伝えずに別れてしまいたかった。
  一度口を開くと、俺はもう、止まらない。
  「生憎様、傷付いたのはアンタの方だ。可哀想に。
 腕を無くして結界術は金輪際使えない。頼みの綱だった手駒も二度と、アンタの言葉に耳を傾けない。
 敵討ちの馬鹿な計画が大成功しておめでとう。だけどあんたの監察官としての寿命もお終いだ。
 ……なぁ、どんな気分だ?
 お祝いのシャンパンの支度は? 
 パレードは?
 退職金で買い込んだ鎮痛剤キメていい夢見る準備は?
 精々死んだ妻にハグとキスをして褒められて貰うと良いよ。
 アンタの独りよがりの大団円を、きっとみんなが、喜んで祝福してくれるはずだ」

 彼は黙って俺を見ていた。
  俺はずっと、彼を嗤っていた。

「......柳、ごめん、俺は......」

「謝らないでくださいよ、先輩。俺ね、おかげでいいことに気付けたんです。
  生きる意味は分からないままですよ。だけど、死ねない理由ができた!
 シケたツラして生きてちゃ、アンタみたいなつまらねぇクズに人生チューチュー吸い取られて使い捨てられちまう。それじゃあまりにも、俺がつまらない。
 人生ってきっと、もっと面白おかしく、楽しく生きてくためにあるんですよ!」
 「やなぎ、」
 「だから俺ね、もう絶対、これは死ねないなァと思ったんです。こんな下らねえ仕事で、たまたま人事が引き合わせた程度のバディのためになんか、絶対死ねない。俺の命は、もっと楽しくて、愉快で、朗らかなことに使いますよ。バケモノ殺して死ぬなんて、ハハッ、アンタにはお似合いでも、俺のキャラじゃない」
  ははっ、と明るく笑う俺を見て、彼はどう思っただろう。かけるべきお綺麗な言葉、体裁を整える弾は、きっと品切れだ。
 「じゃあ、どうぞお元気で。楽しい灰色の道を。俺とアンタはここまでだ。退場口なら向こうですよ」
  にこやかに手を振って、出口を顎でしゃくる。
  俺の笑顔を前に、先輩は、やがて情けなく、嗚咽を漏らした。

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