柳徹の話 1

2019年11月14日

 あいにく、そんなに面白い話はない。

 可愛い子を口説くならまだしも、自分の過去語りなんてそう楽しいものじゃない。

 それでもあえて始めるなら、一番古い記憶は、どこかの古民家で、猫がくぅくぅ寝息を立てる腹にそっと手を乗せたところからはじまる。
 そこへ車が乱暴に止まって、赤いヒールの女が降りてきた。
 猫はびっくりして跳ね起きて、俺に目もくれずどこかへ逃げた。
 女は唖然とする俺の手を強く引いて、車へ乗せた。

 記憶はここで途切れる。

 次に覚えているのは俺の頬をぶつ女の顔で、あぁこれが母親か、と俺は軽度に絶望した。
 当時の彼女の言い分をかいつまむと、新しい家庭を手に入れるために俺が邪魔だから、施設に預けるため殴っているんだとか、そんなことを言っていたように思う。

 それでまた、記憶は飛んで、あまり昔のことはよく覚えていない。
 小学校に入るころには施設の友達もいたし、上級生との折り合いは良くなかったけどいじめられてもいなかった。
 施設っ子だとバレるのが嫌で、学校では兄がいると嘘をついた。
 同じ施設の子とは学校では仲良くしないような不文律があって、それでも気の合った女の子と妙な噂が立って、お互い気恥ずかしい思いをしたのも覚えている。
 運動会の全校リレーで一等をとっても、褒めてくれる親がいなかったことだとか、でもその日施設に帰ったら、園長先生が好物を作って待っててくれたこととか。
 中学生が終わるころにはクラスでも明るい方で通っていたし、成績も悪くなかったから人生上出来だった。人の勧めで始めたバスケも下手じゃなかったし、まぁ人生、うまくいっていたと思う。

 だけど不意の虚しさはやっぱりあって、部活や試験でどれだけ良い成績をとろうが、俺を認めたり愛したりしてくれる人はいないんだって事実に時々しょげたりした。
 そんな感情もだんだん枯れてきて、高校に進学するころにはすっかり心が老けた。
 柳は落ち着いてるだとか、冷めてるだとか言われているうち、所属していたバスケ部のOBに連れられて、酒を飲んでタバコをやって、あと女ともいい思いをして、ぽんと停学を食らった。
 綺麗に剃られた丸刈りに面白がって刺青を入れて、結果、髪が伸びるまで停学期間も伸びた。
 そんなろくでもない思春期を終えて、施設を出ることになって、とりあえず就職先に選んだのが帯刀課だった。

 体力には自信があったし、運動神経はずっと良かった。頭も悪くなかったし、素行が一時期乱れたもののそう問題のあるバカでもなかったから、順当に就職が決まった。
 人死の多い職場なんだろうなと最初に思ったのは、気安く訓練刀が渡された時だ。
 この時代に刃物振り回して化け物退治。
 自分と敵との間合いは、1メートルもない。守る盾もなければ、殺す銃もない。

 二度目にそれを実感したのは、入社後十日しないうちに、捜査官の訃報が効かされた時だった。
 入社してすぐ、俺の名前を呼んでくれた先輩で、だけどこっちはまだ、名前すらちゃんと覚えていなかった。

 彼が空けた仕事の穴は、一週間で完全に埋まった。
 半月経つ前に、彼の話を聞かなくなった。
 一年経つ頃には、次の訃報に慣れた。
 五年経って、今の俺は、あの人の顔すらおぼろげになっている。
(あぁ)
 と思った。
(ここなら、気楽そうだな)
 誰の何にもなれなかった俺には、ちょうどの職場だと思った。

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