懺悔残響01

2019年11月27日

「......つまらん男」
  そう言って胸を指先で軽く突き飛ばした。
  保泉は、途方に暮れたようにくすみを見つめていた。

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 東京への出向が決まった時、ふと数年前に出会った藤の男を思い出した。
  自分と似て異なる、藤の匂いのする男。
 (名前、たしか......)
  宗くすみはしばらく記憶をあさった。
  だが名前どころか、顔すらろくに思い出せない。
 (ま、ええか)
  あまり深く考えることもなく、引っ越しの手続きを進めていく。
  数年暮らした部屋は、すでにがらんどうだった。
 (そないに物もあらへんやったし、まぁ、あんまり代わり映えはせぇへんな)
  寝袋が一つ置かれたほかは、何もない。
  明日の朝には東京へ旅立ち、新居での生活が始まる。
  だが、特段感慨は無かった。
 「寝よ」
  くすみはあくびをかみ殺して、ころりと横になった。

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 東京に着いてみると、案の定人でごった返していた。
 (こればっかりは、どうもかなんな......)
  空港から電車を乗り継いで、ようやく本部に到着する。
 「どうも、今日から出向で入った宗くすみどす。よろしゅうに」
  適当にあいさつ回りを済ませて、デスクに着く。
  やることは概ね先日の会議で決まっていた。
  捜査官と監察官の現状の把握。特に、どちらかの怪我または死亡が発生したケースについての詳細な調査。
 (ま、嫌われ仕事やんな) 
  人死が出た事件を調査しなおすのを喜ぶ人間などそうはいない。
  だいたいの人間は、事件当時のことを思い返すことを拒絶する。それもそうだ。飛び出す話は概ね、「あの時ああすればよかった」の後悔談ばかりだ。
 (懺悔室と違うてんのにね)
  大阪での聞き取りに限界を感じ、上司に出向を申し出た。
  上司も、自分を厄介払いをしたかったのだろう。一か月後には転勤が決定した。
 「ほな、ぼちぼち始めよか......」
  東京オフィスの一角に、「調査室」の札がかけられた小さな部屋がある。
  そこが新しい、くすみの拠点となった。

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 調査を始めてしばらく経つうち、見たことのある顔に出会った。
 「......あ」
  相手は自分が誰だかわかったらしい。
  だがくすみは、思い出せないままだった。
 「どうも。宗くすみ言います。今日はご協力おおきに」
  相手はしばらく自分の顔を見ていたが、手袋をつけた手を差し伸べた。
 「保泉です。よろしく」
 「ほな、さっそく質問やねんけど」
  業務を淡々と進めるくすみを、保泉はじっと見ていた。
 「何か?」
  手を止めて視線をやると、保泉は少し迷うような様子を見せた後、口を開いた。
 「数年前、関西に出張に行ったときに、会ったことが」
 「へぇ、そないなん。ウチ覚えてへんわ堪忍な。それより話聞きたいんやけど」
  保泉は眉根を寄せた。
 「本当に、私のこと覚えてないの?」
 「時間惜しいから。思い出話やったら業後に酒でも奢ってからにして」
  保泉は釈然としないそぶりだった。
  そのまま着席し、やはりじっとこちらを見ていた。

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 思い出したのは、新しい部屋に着いた時だった。
  どこかホテルじみた間取りに、ふと記憶が戻ったのだ。
 「あ」
  保泉、朔太郎。
  彼が関西に来た時に、一度寝たことがあった。
  女だと勘違いして声をかけてくれたんだろう。こっちも否定はしないままホテルに入り、そのまま一夜を共にした。
  それだけの仲だ。
  わざわざ思い出すほどの記憶でもない。
 (それで見たことあったんやな)
  泣きそうな彼の顔を思い出す。歪んで、叫びながらも、逃れることをしなかった従順さを思い出す。
  初対面の人間に、向けるような視線では無かった。
 (あの目、誰かでも思い出しとったんやろか)
  どこか悲し気に歪んだ彼の目は、しかし、瞼を閉じればすぐに消えた。

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