懺悔残響01
「......つまらん男」
そう言って胸を指先で軽く突き飛ばした。
保泉は、途方に暮れたようにくすみを見つめていた。
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東京への出向が決まった時、ふと数年前に出会った藤の男を思い出した。
自分と似て異なる、藤の匂いのする男。
(名前、たしか......)
宗くすみはしばらく記憶をあさった。
だが名前どころか、顔すらろくに思い出せない。
(ま、ええか)
あまり深く考えることもなく、引っ越しの手続きを進めていく。
数年暮らした部屋は、すでにがらんどうだった。
(そないに物もあらへんやったし、まぁ、あんまり代わり映えはせぇへんな)
寝袋が一つ置かれたほかは、何もない。
明日の朝には東京へ旅立ち、新居での生活が始まる。
だが、特段感慨は無かった。
「寝よ」
くすみはあくびをかみ殺して、ころりと横になった。
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東京に着いてみると、案の定人でごった返していた。
(こればっかりは、どうもかなんな......)
空港から電車を乗り継いで、ようやく本部に到着する。
「どうも、今日から出向で入った宗くすみどす。よろしゅうに」
適当にあいさつ回りを済ませて、デスクに着く。
やることは概ね先日の会議で決まっていた。
捜査官と監察官の現状の把握。特に、どちらかの怪我または死亡が発生したケースについての詳細な調査。
(ま、嫌われ仕事やんな)
人死が出た事件を調査しなおすのを喜ぶ人間などそうはいない。
だいたいの人間は、事件当時のことを思い返すことを拒絶する。それもそうだ。飛び出す話は概ね、「あの時ああすればよかった」の後悔談ばかりだ。
(懺悔室と違うてんのにね)
大阪での聞き取りに限界を感じ、上司に出向を申し出た。
上司も、自分を厄介払いをしたかったのだろう。一か月後には転勤が決定した。
「ほな、ぼちぼち始めよか......」
東京オフィスの一角に、「調査室」の札がかけられた小さな部屋がある。
そこが新しい、くすみの拠点となった。
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調査を始めてしばらく経つうち、見たことのある顔に出会った。
「......あ」
相手は自分が誰だかわかったらしい。
だがくすみは、思い出せないままだった。
「どうも。宗くすみ言います。今日はご協力おおきに」
相手はしばらく自分の顔を見ていたが、手袋をつけた手を差し伸べた。
「保泉です。よろしく」
「ほな、さっそく質問やねんけど」
業務を淡々と進めるくすみを、保泉はじっと見ていた。
「何か?」
手を止めて視線をやると、保泉は少し迷うような様子を見せた後、口を開いた。
「数年前、関西に出張に行ったときに、会ったことが」
「へぇ、そないなん。ウチ覚えてへんわ堪忍な。それより話聞きたいんやけど」
保泉は眉根を寄せた。
「本当に、私のこと覚えてないの?」
「時間惜しいから。思い出話やったら業後に酒でも奢ってからにして」
保泉は釈然としないそぶりだった。
そのまま着席し、やはりじっとこちらを見ていた。
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思い出したのは、新しい部屋に着いた時だった。
どこかホテルじみた間取りに、ふと記憶が戻ったのだ。
「あ」
保泉、朔太郎。
彼が関西に来た時に、一度寝たことがあった。
女だと勘違いして声をかけてくれたんだろう。こっちも否定はしないままホテルに入り、そのまま一夜を共にした。
それだけの仲だ。
わざわざ思い出すほどの記憶でもない。
(それで見たことあったんやな)
泣きそうな彼の顔を思い出す。歪んで、叫びながらも、逃れることをしなかった従順さを思い出す。
初対面の人間に、向けるような視線では無かった。
(あの目、誰かでも思い出しとったんやろか)
どこか悲し気に歪んだ彼の目は、しかし、瞼を閉じればすぐに消えた。