恋慕の話
八方美人の飽き性と罵られることは、鵲涼の人生においてそう珍しいことでもなかった。
「頼ってくれる人を助けることって、そんなにいけないこと?」
との一言が原因で、女性と別れた回数は、物心ついた頃から数えるに、両手の指では足りないだろう。
誰か一人に対して想ったり悲しんだりできないのかもしれないと、自分にどこか欠落があるように思えたこともあったが、幸い日常生活に支障はない。
そうして離別の数が足の指を使い切る前に、転機が訪れた。
相手は、現バディの、三歳年下の青年だった。
錆浅葱銹。
といっても、鵲は初対面のありふれた挨拶に動じるほどウブでもなければ、どこか人を食ったような物腰やトリッキーな風貌に一目惚れするほど尖った性癖の持ち主でもなかった。
だから初めましての挨拶を終えての第一声は「ところでその口大丈夫? 痛まない?」という、錆浅葱気に入りのタトゥを蔑ろにしかねない一言だったし、事実、錆浅葱自身もムッとしたそぶりで「タトゥですけど」と短く答えるに留まった。
要するに、鵲の恋は一目惚れではなかったし、出会った瞬間から相性抜群のお似合いバディというわけでもなかったのだ。
(それが、どうして)
こうなった。と、鵲は自問する。
前兆はあった。
空と戦って汚れた錆浅葱の顔を拭いてやった時の表情があどけなかった、だとか。
煽るような口調が緩やかに素直なものになった時、こぼれた笑みがふと胸に迫った、だとか。
そういう小さな気付きを、気のせいだと振り払い続けてきたツケが、今日やってきてしまったに違いない。
「......鵲さん? 聞いてます?」
不思議そうにこちらを見返す錆浅葱の顔を、ろくに見返せなかった。
「......聞いてるよ」
錆浅葱が負ったのは、幸い、大した怪我では無かった。万が一魔障でもあったら大変だということで一時的に寝かされているに過ぎない。
それなのに
向かった先の病室で、静かに眠っている錆浅葱を見た瞬間、言葉を失った。
不意に、胸が苦しくなった。
死んでほしくないと思った。
同僚を思う一般的な感情には違いない。だがそれよりずっと、切迫した感情がこみ上げて、喉につかえる。
「......大した怪我じゃないって、お医者さんは、言っていたけど」
言い聞かせるような言葉は、まだバディの域を出ていない響きだったはずだ。
「大事をとって、今日はもう休んだ方がいい。また好きなだけ刀を振るいたいなら、体も大切にしないと」
錆浅葱は少し不満げだったが「分かりました」と聞き入れた。先刻の戦闘で空を倒した手ごたえがあったことに、一定の満足は得ているのだろう。
「そういえば、鵲さんは、怪我は」
「無いよ。君のおかげだ」
「なら、よかったです」
錆浅葱は少し、嬉しそうに笑った。
「良くはないさ。君が倒れた」
「僕は平気ですよ」
「平気じゃないから、倒れたんだろ」
ここからは押し問答になると思ったのか、錆浅葱は軽く肩をすくめる。
「鵲さん、何か一つ忘れてませんか」
「なんだろう」
「僕は君の刀なんですよ」
錆浅葱が真っすぐにこちらを見ているのが分かった。
顔を上げると、こちらの返事を待たずに錆浅葱が口を開くのが見えた。
「持ち主が死ぬ前に折れる刀なんて、ただの鈍(なまく)らじゃないですか」
「......錆浅葱?」
「僕は錆びているかもしれませんが、なまくらじゃない」
どう返してよいか言葉が見つからなかった。
「......つまり?」
錆浅葱は目を細めて笑った。
「つまりまぁ、鵲さんが仕事してるうちは、僕も元気だってことです」
「詭弁だよ、それは」
「いつものことですね」
そう返す笑みは、やはりあどけない。
うまい言葉が見つかればいいと思った。
八方美人だの巧言令色だの言われて久しいのに、こんな時に限って、気の利いた一言が見つからない。
「......無事でいてほしいよ」
そんな凡庸な言葉だけが漏れた。
「無事だって言ってるじゃないですか」
「この先の話だよ」
「そんなのわかりませんよ。鵲さんだって、そうでしょ」
「そりゃ、いつだって、明日は我が身かもしれないけど」
それでも、無事でいてほしいと思ったのだと繰り返すと、錆浅葱は困ったように癖のある髪をわしわし掻いた。
「じゃあ、善処します」
病院の窓から漏れる光が、錆浅葱の髪を透かしていた。サビ色だと彼が語っていたその色は、夕日で鮮やかな艶を放っていた。
看護師が来て、夕方の問診だと声をかけた。
「それじゃ、また」
「はい」
ぱたぱたと錆浅葱が手を振る。
それに緩く手を振り返して、病室を後にする。
エレベーターのスイッチを押したところで、自分の耳が、じんわりと熱を持っているのを知った。
したんさん宅(@shitan_120)錆浅葱銹さんお借りしました