治癒の日

2019年10月16日

 点滴を打たれながら放心するのは、左青鈍の日常にはよくあることだった。
「どう、思います?」
 いくつか違うとすれば、その時の左がひどく精神を病んでいた点だ。
 左の話を聞き終えて、鬼女はしばらくの間黙っていた。
 爪の先まで整った指が、左の髪に触れた。
「少し、眠ってくださいね」
 穏やかな声で、彼は語る。
 六つも年下で、まだ成人したばかりのこの青年に、腹の内を明かしていた。

 酷い話だった。
「俺、男が好きなんですよ」
 十分ほど前に発された左の言葉に、鬼女は「そうですか」と緩やかな肯定を返した。
「それで、どうしたんです?」
「気味が悪いだろうから、黙っていました。困るでしょう、男同士なんて」
「左さんは、そう思ったんですね」
「はい。俺は、そう思いました」
「だけど、失恋したのなら、思いを告げたんですか」
「......えぇ」
 苦しげに表情をゆがめる左の目元を、鬼女の手が覆う。
「その時の気持ちを、思い返してみてください」
 人の血を過度に恐れる鬼女が癒すのは、心だった。
 点滴一つ打てない彼は、それでも確かに、人を生かす。

「俺は、片想いでいたかったんです。......だけど、気付かれて、踏み込まれて、それで、......付き合いましょう、って、話に、なったんです」
 三つ年下の、金髪の青年だった。性別の曖昧に見える彼が戦場で見せる男らしさのギャップに惚れて、それからずっと、その美しい人が戦うのを支えてきた。
 一方的に慕うだけで、良かった。自分のような人間と彼が釣り合わないのは、誰よりわかっている。
「バディを組んでらっしゃった、あの方ですか」
 知っていたらしい。鬼女は静かにうなずいた。
「仲は、良かったんでしょう」
 肯定も否定も、難しかった。
「仲良く、して、くれていたんですよ」
 自虐のような笑いがこぼれた。
「どうせ俺は、彼と付き合っていることを誰にも言えない。彼も誰にも言わない。だから、黙って付き合っていたんです」
「それで?」
「それで、って、......ふたを、あけてみたら、彼には別の交際相手がいた。そっちが彼の本命です。俺は体のいい財布だった。強請られていろいろ買いました。当日の都合を急にキャンセルされることもあった。だけど、仕方ないからと思って、事情があるからと思って、どうせ最初から片想いだから、彼が一瞬でもこちらを向いただけで良いと、思って、......それで、続けていたんです」
「続けられなく、なったんですね」
 鬼女の手が、額を撫でてゆっくり耳の裏に触れる。
「深く呼吸してください。長く吸って、ゆっくりはいて。心を、落ち着けて。水が凪ぐように、目を閉じて」
 言われるまま、目を閉じる。
 だが、元バディの彼の、少しハスキーな笑い声がよみがえって、目を開けた。
「......キスしているところに、出くわしてしまったんです」
「それで」
「相手の前で、彼は俺を笑いました。それで、『本気で、俺がお前と付き合うと思った?』って、聞いたんです」
 左は深く息を吐いた。それから、また自嘲した。
「その通りだと思いました。彼みたいな人間が、俺なんかと付き合うわけがない。......最初から、分かってた、分かってたんです。俺が贈ったものはすべて換金されていました。もう飽きたところだったからと言われて、その日、その場で別れて、......それが、昨日の、ことです」
 言い切って、しばらく黙った。
 だがすぐ、また口を開いてしまう。
「やっぱり、俺みたいな人間が、恋したこと自体ダメだったんですよ。最初から人間を好きになるように出来てないのに、間違えたことをしたから......、片想いで、終わらせておくべきだった、片想いが一番、楽で、俺に合ってました。人間と、真っ向から向き合うなんて、俺はもう二度と......」
 鬼女の白い手がもう一度、視界を覆った。
「......左さん」
 鬼女の声は、包み込むように柔らかだった。
「貴方は、本当は人間を好きなはずですよ」
「いいえ、俺は」
「本当に人間が嫌いな人が、バディを組むような仕事に就いて、昼夜を忘れて人のために空のことを調べたり、バディとの戦術を組み立てたりなんか出来ません。貴方は、本当は人と関わりたい筈です。今回は、相手が悪くてうまく行かなかった。それだけですよ」
「......そう、でしょうか」
「そうです。......そんなにつらいことがあったのに、貴方は今日も生きて、働きに来て、こうして自分の感情に向き合っている。貴方は立ち直れます。傷が残っても、また立ち直る意思がある」
「......鬼女さん」
 左は、自分の目を覆う手を掴んだ。
 視界から外して、鬼女の目を見る。
「俺は、どうしたらいいでしょう」
 鬼女は穏やかに笑っていた。
「少し、眠ってください。心も体も、一緒にゆっくり、癒していくのが先決でしょうから」
 左は鬼女の手を離した。
 それから言われるがまま、もう一度目を閉じた。
 夢の中で、元バディの笑う声はまだ聞こえていた。だがそれも徐々に、遠のいていった。 


comeさん(@1co_____)宅鬼女れいまさんお借りしました。 

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