戦術
「おまたせ」
バディの伊伏麟太郞が声を掛ける。頬に米粒が付いているから、出動命令を受けて慌てておにぎりをかっこんだんだろう。時間のかかり方から見て二つは食べたらしい。
今更気にする左青鈍でもない。
「お茶要ります?」
「あ、おおきに」
伊伏は差し出されたペットボトルを受け取って、ごくごく元気にお茶を飲み干す。それから口元を軽く拭って、にっと笑って見せた。
「ほな、行こか、オニちゃん」
現場までは車で十分だった。
三メートルほどある人間の形をした空が出現したとの報告が上がっている。人的被害はまだ出ていない。
出動を要請した警察によって、近隣住民の避難は完了している。
「つまり、ある程度はやりたい放題です」
「やりたい放題はええけど、僕らがやらかしたあとの補償費ってどこが払ってんねやろ」
「僕らの血税から県が国土交通省に払うんじゃないですか」
「県なん?」
「今日連絡してきたのは県警なので、多分書類が県単位で動くと思います」
「そうなんかー」
どちらでも良さそうにいいながら、伊伏はウィダーを飲み干す。
「そんなに食べて動けるんですか?」
「食べんと動かれへんもん」
伊伏はちょっと唇を突き出す。小言を言われるときは大体こんな顔になる男だった。
「もうすぐつきます」
「うん。今日どないする?」
「僕が足元を崩すので、いつも通りに跳んでください」
「ほいほーい。任せとって」
交差点を右に曲がる。その先で、警察が道路を封鎖していた。
こちらに気付いた若い警察が走り寄ってくる。
「この先は危険です、引き返してください」
その警察に身分証を見せた。
「怪異特別対策室帯刀課監察官の左です。通報を受けてきたのですが、ご担当の北原さんはどちらにいらっしゃいますか」
「あ、少々お待ちください」
警察は走って上官の方へ向かう。それを眺めていた伊伏が不思議そうに首をかしげた。
「なぁオニちゃん」
「何ですか」
「こないな時は、人の目ェ見ても平気なん?」
「長い縁ではないので」
「ふぅん......」
出来れば人間とは接触したくない左だが、人懐っこさでついヘラヘラ笑ってしまう伊伏にまかせるにも不安がある。第一、現場での交渉は監察官の役割だと自認していた。
「嫌やないならええねんけど」
「お気遣いありがとうございます」
「ううんー」
やりとりをしているうちに、四十過ぎの警官がこちらへ向かってくるのが見えた。
左は車から降りる。
「初めまして、監察官の左です。状況は」
「建物を破壊しながらゆっくりと進んでいます。歩みは遅いようです。走れば十分に逃げ切れます」
「写真などはありますか」
「いいえ。監視カメラは壊されていました。電波も影響を受けるようで、一定距離以上近付くと妨害電波を出されているように通信が遮断されます」
「そうですか。ありがとうございました」
軽く頭を下げて伊伏に合図する。
伊伏は車から降りるとにこっと警察たちに笑みを向けて、腰に刀を二本携えた。
刀身、拵ともに漆色の打刀「八咫烏」、茶色の鞘に黒の鍔、赤い組紐の映える脇差し「夜雀」。
「ほな、みなさん待っとってな~」
ひらひらと手を振る伊伏を「早く行きますよ」とせかし、左は音のする方へ駆けだした。
自分の結界に癖があると気付いたのは、新人のころだった。
結界術には多少なりとも癖が出る。流派、血統、素養、才能、センス、努力。
そんなものが一つにまとめ上げられていった結果、結界術は無数に派生していく。
左青鈍の結界術は、自分以外のものを拒絶することに才覚を現した。
初めは、ひどく劣った能力だと思った。だが磨き上げるうち、あながち捨てたものでもないと考えるようになった。
安定した力を発揮できるまでに二年、戦術として実践で通用するようになるまでさらに二年かかった。
今、現場において、左青鈍の結界は破られたことがない。
それが、この男のわずかな矜持となっていた。
現場に到着すると、すでに巨体がのっそりと動いているのが見えた。
「あれですか......」
「まぁ着ぐるみショーにも見えへんしなぁ」
「冗談言ってる場合ですか」
「えーこんなんギャグとちゃうよ」
歩くたびに地響きがする。
あまり聴覚は優れていないタイプのようだった。二階建てのビルにちょうど頭が届く程度の巨躯だ。人間が肥大化したような体躯で、のっそり、のっそりと町の木々を踏みつぶしながら歩いていく。どこか遊びに興じる子どもに似た無垢さのあるしぐさが見えた。
だが捕まれば、ただでは済まないだろう。
「視界の届かないところから、回り込みますので、陽動を頼みます。足場を崩しますから、倒れたところを、いつも通りに」
「ん。無茶せんでな」
「貴方こそ」
二手に分かれて背後と正面から近付く。
監察官のくせに走りすぎだと、以前他人に言われたことがあった。
監察官は冷静に現場と捜査官を見据えるのが仕事だと。だからお前のしていることは、捜査官に対する出しゃばりでもあり、監察官としての冷静さに欠くと。
そんな先輩方のアドバイスは、右から左に流していた。
「おぉい!」
陽動の伊伏が声を上げた。
「こっちや! でっかい身体して、聞こえてへんかー? こっちや、こっちー!!」
大きく手を振って跳んで、空の注意を引き付ける。
空が伊伏を見つけたようだった。
ぐるりと身体を動かして、よたよたとそちらへ歩み寄る。
伊伏はある程度まで空が近付いたところで走り始めた。その動きを追う空の視界が、足元から遠くの伊伏へと向けられていく。
空は不明瞭な声を上げ、伊伏へ手を伸ばしていた。
その足元に、左が転がり込んだ。
同時に強力な結界を張る。
半径二メートルに及ぶ結界は、「左以外」のものすべてを拒絶した。
結果、踏み出すためにあげられていた空の足が、結界に阻まれて弾き飛ばされる。
空の巨体が崩れた。膝をつく格好になって、訝しげに足元へ視線をやる。それより先に、左は伊伏の方へ駆け出していた。
「オニちゃん!」
駆け寄ってくる伊伏の靴のかかとには、あらかじめ左の結界札が仕込んである。
簡単な話だ。
左は砲台、伊伏は鉄球だった。
あとは、敵めがけてまっすぐに、撃ち出せばいい。
空の方角へ意識を向ける。
伊伏が軽く地面を蹴った。その爪先が自分に触れる前に、伊伏のかかとの札に意識を集中させて結界術を発動させる。
まるで急速に膨らむゴム玉に弾かれるような光景だった。左と札の間に発生した結界は一瞬で膨らみ、強力なバネとなって伊伏を跳躍させる。
伊伏と左の呼吸が合ってようやく可能となる技だった。結界が拡がりきったタイミングで結界の表面を強く蹴ることで、伊伏の身体が高く宙に浮く。
「食らえ......!」
空中でも、伊伏の狙いは狂わなかった。
伊伏の打刀は、寸分たがわず空の眉間を貫いた。
同時に、着地のための簡易結界が発効する。伊伏は結界を使ってうまく衝撃を殺して着地した。
その背後で、空が崩れるように消え去っていく。
「お怪我は」
「何もあらへんよー。オニちゃんは?」
「おかげさまで無事です。お疲れさまでした」
たがいの無事を確認して、撤収に映る。
「あ、せやオニちゃん」
「左です。何ですか?」
「帰りにな、たい焼き食べたい」
時間はまだ余っていた。
「三つまでですよ」
納刀した伊伏は、あどけない笑顔を浮かべて見せた。
こじゃかなさん(@sushi_7431)さん宅 伊伏麟太郎くんお借りしました。