大野先輩【第1話】

2019年10月24日

 目の前にあるドアは、一生開くことがないのだと思っていた。
 自分を心配してくれる両親に申し訳なくて、家事をしたり、食事の買い出しに出たり、庭の掃除をして、狭い世界の中で静かに、生きていこうと思っていた。
 外の世界が楽しかったのは知っている。
 人としゃべるのは好きだったし、新しいことを知るのも大好きだった。
 でもそれも、ある日を境に変わった。
 結果、悪いことではなかったと思う。

 おかげで今浴びる陽の光は、以前よりいっそう、眩しく思える。

――――――

「目......ですか?」
「はい、そうです」
 大野虹架は、神妙にうなずいた。
「今度わたしたちが担当するケースです。といっても、多摩くんの任務は、解決じゃなくて現場の洗い直しですけど」
 渡された資料に目を通す。
 警察が調べた概要はこうだった。
 巷で若い女性たちが、突然姿を消す。彼女たちは数日後、眼球をえぐられた状態で発見されている。 今のところ、暴行や殺害の被害者はいない。

「これだけなら、警察でも十分対処できるように見えますけど」
 との多摩の疑問は、すでに見透かされていたらしい。
「そうじゃないんですよぉ」
 と、大野は首を振った。
 見た目はひどく幼い。高校生、下手をすれば中学生ぐらいにも見える。
 だが、四年間の経験は彼女を先輩と呼ぶに十分だ。
「担当だった刑事さんとしゃべってきたんです。そしたらちゃんと、さじを投げた理由がありました」
 被害者たちの証言だ。
「空が見えるんだそうです」
「え」
「目がないはずなのに、ずっと空が見える。それも固定された映像とかじゃなくて、ちゃんと、夜が来て、昼が来る、どこかの空が見えてるらしいんですよねー......」
 これは、警察では扱えない超常的な事件だとして、探偵社へ横流しされたそうだ。
「それって、事件のファイルには残されてないですよね」
「うん、警察側は、超常的なことは記録に残せないんですよぉ。だから、引き継ぐときにちゃんと、話を聞きに行かなきゃいけません。向こうのオフレコは、こっちの重要な資料になるし......」
「なるほど......」
 大野先輩の話をメモに残す。

 簡単に口にするが、実力社会の警察が自分たちの足でとってきた情報をそう簡単に分け与えてくれる訳はない。
 だからこの情報は、それだけ彼女が信頼を勝ち得ているという証拠だ。

「ざっくり、読み終わりました?」
「あ、はい」
「よーし、それじゃあ、現場行っきましょーぅ」
「現場、ですか?」
「はい。被害者たちが襲われた現場を、まずは見ます」
「えっと、事情聴取......とかは?」
「多摩くん、事情聴取ができるのは捜査機関だけです」
「あ、そっか」
 刑事訴訟法189条2項、190条、191条1項ならびに2項。
 「捜査機関」を定める法律のどこにも、異能探偵社「STRAYED」の名前は出てこない。
 あくまで自分たちは民間なのだと、思い出す。

「すみません」
「いえ、謝ることはないですよ。それに、任意での聞き込みや、調査は行えます」
「えっ、そうなんですか?」
「事情聴取も結局は任意同行ですし、事実上そんなに変わらない部分もあります。民間でも真相を探るのに必要な手順は、警察とあまり変わらないってことですかねー」
「なるほど......抜け道みたいでなんかかっこいいですね」
「抜け道ってほどのものでもないと思いますけど......お勉強になりました?」
「はい」
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

 大野はばさりと上着を羽織る。
 出発の合図をみとって、多摩もすぐに、車のカギを持って立ち上がった。

――――――

 到着した先は、S市内にある大学のキャンパスだ。
 車を近くの駐車場に止めて、そばの裏路地へ向かう。
「えっと、最初の被害者は、三森さつき。大学のサークルから帰る途中に背後から襲われて、そのまま三日間行方不明でした。大学の構内には異能報知器が設置されており、犯行時刻には作動の痕跡はありません」

 そう報告すると、大野は不思議そうに多摩を見上げた。
「えっと……俺、なにか変なこと言いました?」
「いえ、ちょっと刑事ドラマっぽいなぁと思って......」
「えっ」
「そんなに、硬くならなくても。もう少しリラックスしていいんですよ」
「す、すみません......、なんか緊張しちゃって」
「現場、初めてですっけ?」
「はい」

 多摩がぎこちなく答えると、大野は少し笑って見せた。そして多摩の背中をぽんぽんと叩く。

「大丈夫ですよーぉ。オニが出てくるわけでもありませんし。多摩くんは落ち着いて、現場を見つめてみてください。今回多摩くんは先入観が少ない分、新しいことに気付けるかもしれません」

 安心させるように言ってくれているのだと思った。
 おおらかな物言いに、肩の力がすっと抜ける。
「先輩、やっぱりすごいですね。こういう時、落ち着いてるから」
「えっ」
 大野はちょっと驚いたように多摩を見上げて、それから少しはにかんだ。
「少ぉしだけ、経験があるだけです」
 そして、「そんなことより」と話をそらすように、現場の裏路地へ向かって歩く。
 照れているらしいことに、多摩は気付かずに、大野のあとをついて歩いた。

© 2019 kikaku_bty
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう