塩ラーメンズが喜助くんを慰める話
「へいきーちゃん、火ィ頂戴」
柳は普段通り声をかけたが、三春の返答は陰鬱だった。
「......あー、ごめん。今日はねぇんだ」
力なく笑うそぶりに、柳は眉を顰める。
「......なんかあった?」
「いや、大したことじゃねぇんだけど」
「嘘こけ。大変なことあっただろ」
三春は、深くため息をついて小さく呻いた。
「実は、フラれたんだ」
「マジで? あんなに大事にしてたじゃん?」
「俺、面白みがないんだってさ」
やや俯く三春の背を、柳はぱんと叩いた。
「飲み行こう」
「え」
「どうせ暇だろ今夜」
「暇だけど」
「19時に駅前繁華街な」
「……おう、分かった」
「つまらねー女のことで落ち込むの喜助の人生勿体ねェじゃんか。今夜は死ぬまで飲もう」
「......死んじゃダメだろ」
三春はわずかに、笑って見せた。
「また業後に連絡する」
「おう」
もう一度三春の背中を叩いて、柳は踵を返した。
待ち合わせの店の前で、久保がタバコを吸っていた。
そのそばに、いつにも増して物憂げな様子の三春が立っている。もしかするとあまり寝ていないのかもしれない。目の下のクマが、一層深くなっている。
「よっすよっす。遅くなってごめーん」
「お待たせ~♪」
若と連れ立った柳が手を振ると、久保が軽く手を挙げて応えた。店に入る途中で、柳に耳打ちする。
「どうすんの、すごい落ち込んでるけど」
「分かんねェけど。まー飲めばいいんじゃね?」
「ノープランだねお前」
「いつものことじゃん。テキトーでいいんだよ」
肩をすくめると、久保は薄く笑った。
「それにわかかいるし。明るくしてくれるでしょ」
「ふぅん」
二人の視線が若に向く。
「もー、どしたの喜助くん~元気ないじゃん」
若は三春の背中をさすっていた。
「ほら、面倒見良い」
「面倒見ねぇ......」
「一服もらえる?」
「いいけど」
咥えたばこで入店する。勝手知ったる居酒屋だ。四人でゾロゾロ席に着き、ビールを4つ頼む。
「で、何があったの」
若の問いかけに、三春は沈痛な面持ちで口を開いた。
「昨日、留守電が入ってて」
「留守電? LINEじゃねェんだ」
「今時古風~」
「で、相手は何て?」
「......別れて、って......。前から、なんとなく退屈してるようなことは、時々言われてたんだけど。刺激的じゃないから、って……」
「うわ~......」
「留守録はキツイ」
「顔も見たくないってか」
三春はまた深いため息をこぼした。
「......俺どうすりゃよかったんだろうな......」
三人は神妙な顔のままビールのジョッキを手に取った。
三春もまたジョッキをとり、一気に半分まで飲み干して吠えた。
「考えたって分かんねぇけど!」
「そういうものじゃないかなぁ? 他人の気持ちって、気にするだけ疲れちゃうし、もっと楽しいこと考えよ?」
「そうそう、女は勝手に来て勝手に過ぎ去っていくものだから追いかけても仕方ない」
「いや、久保は惚れさせて捨てるから事情違くない?」
「脱線するだろ柳」
「ごめ。でもまァ、きーちゃんの人柄ならすぐ次見つかる気もすっから深く悩むこともねェよ」
三春は首を振る。
「次とかじゃなくてさ......。俺、彼女のことすげぇ愛してたんだよ。結婚して、安定した家庭をさ、ちゃんと作ってさ......幸せにするって、思ってて......」
「あー......」
その呟きに対しては、誰からも励ましが入らない。
(どうだかなぁ......)
と腹の中でおのおの呟きながら、それとなくメニューを開いて店員を呼び、何品か注文する。
実のところ腹の一番奥では、誰のことだってどうでもいいような冷め方は、この四人に共通する悪癖だった。唯一無自覚なのは、三春ぐらいだろう。
「俺の何がダメだったと思う? いやもう考えるの面倒くせぇけど」
「自分の欠点なんて考えないでいいんだよ~♪ それより、合コンセッティングする?」
「本番できる子紹介しようか?」
「とりあえずロングアイランドアイスティーでもキメとく? すげーブチ上がるからさ」
「みんなありがとう......」
三春は力なく笑った。
お通しの枝豆に、それぞれ手を伸ばす。
「刺激って何なんだろう」
三つほど食べたところで、ぽつんと、三春がこぼした。
ふむ、と若が考え込む。
「刺激ね~......ボクも意識はしたことないかなぁ。女の子と一緒に喋ってるときは楽しんでほしいし、サプライズで喜んでもらうのは大好きだけど......でもそういうのじゃ、ないんだよね?」
「たぶん......」
「だよねぇ。喜助くんは気遣い上手だから、そこは抜かりなさそうだし」
柳はジョッキに手を伸ばして、少し難しい顔をする。
「ぶっちゃけ別れて正解じゃね? 『刺激が~』とかほざく女は、彼氏をステータスだってはき違えてるか、マゾかの二択だよ」
「そう......か......?」
「そうそう。交際自慢エピソード欲しさに言ってんだって。で、自然体のお前じゃ満足できなくて、いつだって着飾れって言ってくるようなもんじゃん? 多少ならともかく毎度じゃ長持ちするわけねェし」
「それは、そうかもしれないけど」
「で、もしセックスについての話なら、ギャグボール咥えさせて尻でもぶちゃいいんだよ。まぁその程度のことで別れるなら大したアマでもねぇからやっぱ分かれて正解。捨てる手間省けたじゃん。俺からは以上」
「ん......んん......」
三春は難しい顔をしてまた考え込む。
「振られてから、連絡はした?」
久保の質問に、三春は首を振った。
「迷惑かもしれないし、......会いたくないって気持ちでLINEで言ってるなら、そこは、尊重してあげたいから......」
「案外追いかけられたいのかもしれない」
「え」
「会って直接話せてないなら、一時の気の迷いの可能性だってある。本当は追いかけてほしくて、待ってるんじゃない?」
「適当なこと言って」
呆れ顔をするのは若だ。
「違ったらどうするの。喜助くんが余計傷付くだけでしょ? 相手の子だって迷惑するかもしれない」
「合ってたらどうする? 喜助と彼女が幸せになれるチャンスを逃すだけかもしれない」
「どちみちクソ女だからほっときゃ良いと思うけどなァ俺」
「それは柳の主観だろ。喜助の価値観じゃない」
「でも後々絶対ろくなことねぇのは久保だって察しついてんだろ?」
「ボクは、コイツに同意するのは癪だけど、何が幸せかは人それぞれっていうのは賛成。そのうえで連絡するのは反対」
「はいはい。論点を整理しよう。選択肢自体はシンプルだ。連絡する、しない」
「どうするよ、きーちゃん」
「えっ」
急に水を向けられ、三春ははっと顔を上げた。
「あー、......ごめん、みんなの言うことは、それぞれそうだなと思う」
「それで?」
「......いろいろ、考えちまって、ちょっとすぐには、難しい。一緒に居られて楽しかったし、幸せだったけど、また拒絶されたらって思うと、すごく、つらい。......せっかく意見出してくれてるのに、ごめん」
三人はちらと顔を見合わせた。
「好きにすりゃいいよ。コケたらまた顛末聞くからさ」
「酒の席の話なんて、耳半分でも多すぎる」
「そうそ~♪ ボクらは、喜助くんが元気になってくれればそれでいいんだし♪」
「きーちゃんも久保もジョッキ空いてんじゃん、次何飲む? ロングアイランドアイスティー?」
「柳さっきからそればっかりだね~。そんなにおいしいの?」
「わかかはやめといたがいいよ。味はただのお茶みてぇな感じだけど。女の子持って帰るとき用のすげー効くやつだからわかか死んじゃう」
「え~」
「ロングアイランドアイスティー」
「久保は覚えといて損ないやつ」
「そんなもの俺に飲ませようとしてるのか」
「元気ねェから安くで酔えた方が手っ取り早いと思って。親切心だよ」
「ありがとう?」
「喜助、流されちゃだめだぞ」
「でもせっかくだからもらっとく。今夜は、思い切り飲むから」
注文していた品が次々と運ばれてくる。
シーザーサラダ、ほっけの開き、サザエの酒蒸し、牛筋煮込み、揚げ出し豆腐。
「あ、お姉さん、生2つお代わり。あとロングアイランドアイスティー」
「何か急に不安。俺飲めっかなぁ......」
「言うほどはやばくねーよ。医者もいるし大丈夫っしょ」
「おいおい、飲んでる途中の医者を当て込むなよ」
誰ともなしに箸を手に取り、食事に手を付ける。
「......ありがとな」
ぽつりと小さく言った三春に、三人は、大したことじゃないから、と笑って見せた。