七不思議・肆
放課後の音楽室から聞こえるメロディが、嫌いじゃなかった。
「やっちゃん、聞いとる?」
目の前でぽんと手を叩かれ、我に返った。
「あ......、さーせん、ちょっとぼーっとしてました」
「なんや、疲れとるんやったらまた今度でもええけど」
「やー、全然平気っす」
「ほんまに? ほな説明再開するけど、いつでも無理なら無理て言うてかまへんさかい」
綾杉は柳の顔を心配そうに見つめるも、器具を取り出して見せる。
黒い小ぶりの折り畳み傘に似た道具だった。
「これな、レーダーになっとってん。空の成分みたいな、あの黒いのを感知して距離を測れるようになっとる。力抜いて持ってみて、そばに空がおったらそっちのほう自然と向くんや」
「距離はどのぐらいです?」
「んん、ぼちぼち。今はまだ50メートルぐらいが限界やねんけど、実用化するころには1キロまで伸ばせるようになったらええなと思っとる。傘の大きさと実用性の問題が、ややこしねんけど」
技開クラスの受け持ちをしている綾杉に協力するのは、今回が初めてではなかった。
開発途中の道具の中で、これはと綾杉が目を付けたものを柳に使用してもらい、その感想や要望を踏まえてブラッシュアップしていく
「これの便利なとこは、差しとる間結界として少しの間機能できるところやねん。不意の奇襲でもしっかり体勢を立て直して対処できるようになっとる」
「よく考えてますね」
「せやろ。空との距離感覚もある程度しっかり掴めとるから、なんや起きた時でも怖ないよ」
「すごいっすね」
「せやろせやろ。出し方や仕舞い方は折り畳み傘と同じやさかい、持ち運びや使い勝手も簡単やねん。ちと、使うてみて」
「え、ここで開いていいんすか?」
「ええよ。重さとか持ち運び具合とか見てほしねん
「そういうことなら
ぽんと傘を開く。
傘は柳の手の中でくるくると幾度か回った後、音楽室の方角を示した。
綾杉と柳は顔を見合わせた。
「センセ、これ......」
「驚いたな......そばに、空が居てる」
柳はくるりと傘を回した。
「来ます? 先生」
「えっ、ええんかな」
「生徒一人じゃ空との交戦権が不安なんで、立ち合いが欲しいんです」
「そないなことなら
綾杉は好奇心が隠しきれていないだった。
自分の携わる作品が、実地でどう機能するのか興味があるのかもしれない
「......先生」
「ん、何、どないした?」
「でも万一の時は、俺を置いてちゃんと逃げてくださいね。助けを呼んできてくれた方が、そこで一緒に戦ってくれるより助かるかもしれない」
「そないなこと言いなや。生徒置いて、先生が逃げられるわけあらへんやろ」
「まぁそないですけど」
「あ、マネしとる」
「ハハ」
「まぁ笑われへん冗談は、そこまでにし。ボクは君を置いて逃げたりせぇへんよ」
綾杉は笑って、柳の頭をぽんと撫でた。
柳は少し慣れないような顔をして、綾杉を見る。
「ほな、空が逃げてまう前に行こか」
「あ、はい」
二人で連れ立って歩く。
「......ねえ、先生」
「ん? どないした?」
「時々俺、思うことがあるんですけど」
「うん」
「凹んだり悲しんだり、とかって、人間なら起きることじゃないですか」
「せやね」
「その感情を増幅するって一面だけ見られるけど、空って、本当に悪いものなのかな、とか」
「......へぇ?」
「音楽室のピアノ、聞いたことあります?」
「あらへんけど」
「俺、学校の七不思議のこと、ちょっと真面目に調べてたんですよ。それで、聞いたんです。放課後の音楽室のピアノ」
「......好きやったんやね、それが」
柳はこくりと頷いた。
「だから正直、あんまり、気が進まないというか。だから、励ます言葉が、欲しいというか」
「君もそないなこと言うんやね」
「ガキですから」
先を行く柳が、廊下を曲がる。
もうすぐそこは、音楽室だった。
「......これ、ヒントになるかわからへんけど。ボクらもな、たまに物作っとると、作ったらあかんもん作ってまうことがあんねん」
「......うん」
「勿論苦しいよ。ボクかて、ええもん作ろうとおもっとったのに、こないなもん出来てしもて、って思うこともある。使い手の気持ちが曲がっとらんやったらええもん、いくらでもあるのに、ボクらはそれを、世に出されへん」
「......」
「やっちゃんが言うてるのとは、もしかするとズレとるかもわからへんけど、......それでも、その処分まで含めて、ボクは自分の仕事やと思うてる」
柳は、じっと考えるように話を聞いていた。
「仕事の責任、ってこと?」
「それに、近いかもわからん。個人の好きとか嫌いとかを超えた、役割としての務めみたいなもんがあんねん」
「......そう、です、ね」
柳はうまく返答ができないままだった。
音楽室から、ピアノの音が聞こえた。
それはひどく、悲しい旋律だった。
空討伐は、すぐに終わった。
途中で綾杉が自作道具で空をひるませ、その隙に柳が核を両断した。
音楽室のピアノは鳴りやみ、肖像画たちはまた無機質な視線を送るにとどまった。
「まだ改善の余地はあんねんけど、実地のこと考えたら200メートルぐらいでええような気もしてきたなぁ」
黒い空の体液で濡れた傘をばさりと畳んで、綾杉はふむ、とつぶやいた。
柳はまだ少し、考えるようにピアノを眺めている。
すぐには割り切れないのだろうと綾杉は思った。
「センセ」
「どないした?」
「その傘、完成したら俺にも一つ、もらえるかな」
「ええよ。もちろんや」
「あと、あの」
「うん?」
「今日の話、俺、たぶんまた時々、思い出すから」
綾杉は少し目を細めた。
それから柳の頭をまた、軽くたたいた。
「ま、難しく考えんと、ぼちぼちやりや」
コーヒー飲んでく? と誘われ、柳はこくりと頷いた。