七不思議・弐

2019年11月18日

「先生さぁ、職員室から生徒の教室来るじゃん」
「それが?」
「階段の数とか、数えたりする?」
「シャーロック・ホームズ気取りか」
「どうなの、久保センセ」
 屋上の喫煙スペースに、二人の影があった。
 停学が解けても喫煙習慣の抜けなかった柳と、女子生徒や美人教師の前では絶対に吸わない久保が、人目を忍んで吸うなら屋上だと相場が決まっていた。
「近頃流行りの七不思議か」
「そう。ただ、「職員室に向かう階段」としか噂がないから、どこの階段かは分からない」
「踊り場に大姿見がある階段なんて、あったか?」
「あるはずなんだよ」
「どこまでが尾ひれでどこが頭かも分からずに、捌いてるんじゃないだろうな」
「ハハ、それは否定できねェけど」
 ぷかりと煙を吐く。
 丸い輪がぷかぷかと浮いて、夕やみにほどける。
「それよか、三組の西田抱いたってほんと?」
「そんな悪い噂が流れてるのか」
「田島先生はガチだったんだろ」
「悪くなかったよ。性格も素直で一途。お前こそ、後輩の吉野とトイレでお盛んだったって?」
「そんな悪い噂が流れてんの?」
「で、どうなんだ?」
「あの胸パッドだった」
「ハハ。まだまだガキだな」
「男との経験値は、先生よかあると思うけど」
「そっちはどうでもいいんだが、まぁ、噂についてはお互い様だな」
「笑えねェね」
 互いに二本吸い終わり、屋上を後にする。
「なぁ、久保センセ」
「何だ」

「先生って、身内が死んでたりする?」

 不意の質問に、久保は少しの間返答しなかった。
「この歳になれば、親戚ぐらい死ぬだろ」
「......そう」
 柳は久保の目を見ずに、階段へ視線を下ろす。屋上から、職員室へ降りるための階段が続いていた。
「先生、本当に、親しい人は死んでないんだな?」
「くどいぞ」
「ならいいんだよ。誰も死んでねェなら、いい」
 柳は階段を下りる途中で、足を止めた。
「先生、段の数、数えてないだろ」
「それが?」
「この階段、十三段あるよ」
 久保は足を止め、ふと顔を上げた。
 目の前には、大きな姿見があった。
 柳が先に、踊場へ降りていく。久保も、そのあとをついて階段を下りる。
 コツコツと、誰かの足音がした。
 ハイヒールを履きシャンと背を伸ばした、女固有の足音。
「先生って、見えねェんだっけ」
「あぁ。見えない」
「だったら、なるだけしゃがんで、じっとしてて」
 柳の声は、硬く張り詰めていた。
 面倒ごとに巻き込まれてしまったらしいと、久保は柳の邪魔にならぬよう、階段を三段ほど上がり、腰を下ろした。
 生徒が校内で何かと戦う様子を見るのは、これが初めてではない。
 じっとしているうちに終わるだろうと、久保は読んでいた。
 だが、鏡に映った姿を見た途端、心臓が凍り付いた。
「......あ」
 小さく声を漏れた。
 そこに映っていたのは、まぎれもない、姉の姿だった。
「......姉さ、」
 姉は鏡の淵をこえて、落ち着いた足取りで久保へ歩み寄った。
「渚」
 名前を呼ぶ声は、確かに知ったものだった。
「......あ、ぁ」
 声が、上手く出ない。
 自分が何を見ているのか、分からなくなった。

 次の瞬間、姉の胸から銀の刃が飛び出した。

 姉はごぼりと黒い血を吐いた。かと思うと、たちまち靄のようにかすんで、消えた。
 柳が立っていた。
 彼が刺突した刀は、確かに空の核を貫いていた。
「......大丈夫ですか、久保先生」
 久保は軽く頭を振った。
 そしてふらりと立ち上がり、柳の胸ぐらをつかんで壁に押し付けた。
「お礼のキスにしちゃ、熱烈ですね」
 冗談を言う柳を正面から睨み据えて、低く、言葉を吐く。
「......誰にも、言うな」
「言いませんよ。俺に何の得もない」
「誰にもだ。俺に対しても、絶対に蒸し返すな」
「分かってます」
 久保は手を放す。
 柳は刀を鞘にしまい、ポケットに手を突っ込んだ。
「何か勘違いしてるみたいだから言っときますけど、俺に見えたのは、ただの黒い泥の塊が先生に向かって伸びてくとこです。アレが先生の誰だったのかなんか、知りませんし、興味も無いです」
「......そうか」
 久保は片手で顔を覆った。
 その指先は、落ち着かなく、震えている。
 柳は久保を眺めて、それからポケットに突っ込んでいた手を抜き出し、マルボロの箱を差し出した。
「センセ、もう一服してきたらどうです?」
 久保は柳を見遣った。
「変なもの見た後はヤニ吸えって、昔から言うでしょ」
「......そうだな」
 柳の感情はニュートラルだった。
 同情するでもなく、深入りするでもない。だが、確かに気遣いはある。
「その箱貸せよ」
「貸しですよ、センセ」
 久保は屋上へ続く階段を上り、柳は玄関へ続く階段を降りた。

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