七不思議・壱
放課後の教室に、柳と若が残っている。
「桜の下には死体が埋まってるんだって」
「......なぁに、急に」
「屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて、水晶のような液をたらたらと垂らしている。桜の木は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、イソギンチャクの食糸のような毛根を聚めて、その液体を啜っている」
「誰かの小説?」
「梶井基次郎。知らない?」
「知らない」
自分の席に座った若は、自分の前の机に行儀悪く座る柳を見上げた。
柳は手を伸ばして、ゆっくりと若の髪に触れる。
「こんな風にさ、じわじわ何かの死体を、貪るんだよ。だから桜は綺麗」
「柳は、桜好きなの?」
「好きだよ。綺麗だから。若は?」
「普通かなー。お花見は好きだよ」
時計が六時を打った。
どちらともなく顔を見合わせて、立ち上がる。
七不思議のひとつ目を、確かめに行こうと言っていた。
「もし帰ってこられなかったらどうする?」
「その時は片方だけでも撤退して、応援を呼びに行くんだよ」
「その間に相手が死んだら?」
「二人とも死ぬよりましだ」
「それはそうかもしれない」
二人で顔を見合わせて、失笑する。
相手を見捨てて逃げることができないことぐらい、互いにわかっていた。
校庭に出て、少し歩く。
秋風が冬の冷たさを帯びていた。若の頬が、寒さで赤らんでいる。
地面は一面、黒い花で覆われていた。
「......すごいね」
若が小さく呟いた。
「彼岸花みたいだな......」
柳がそう返すと同時に、風がぴたりとやむ。
互いの声もぷっつりと途切れた。
口を動かしているのはわかるが、何を言っているか聞き取れない。
柳は少し低く構えて、刀の柄に手を伸ばした。
若が結界を展開した。近付くものを捉えるタイプの術だが、まだ何にも反応を示していない。
若はじっと柳を見た。
――まだ仕掛けないで。様子を、よく観察して。
手で軽く合図を出され、柳も頷き返す。
若の視線はまた、花へ落ちる。
黒く染まった花は、やはりどこか彼岸花に似ていた。
それが、風も無いのにゆらりと揺れた。
その瞬間、何かの殺意が膨れ上がった。
「......若!」
柳はとっさに、若の腕を引いた。
だが若は、それを振り払って一歩踏み出した。
何かに手招かれたように、一点を凝視したまま、真っすぐと歩いていく。
「千冴!」
声は、聞こえていない。
不意に、地面がぼこりと隆起した。
そこから突き出した手が二本、優しく若を手招いている。掌には、真っ赤な目玉が付いていた。
「待てよ、千冴!!」
追いかけようと駆けだした柳の足を、別の腕がつかむ。
「っ」
地面から伸びる腕は、柳の頭を押さえ、腕を掴み、柳を地に縫い留めた。
「くっそ……!」
倒れた柳の目前で、若は何かに目線を合わせるように、屈んでいた。
たちまち柳の姿は花の中に埋もれ、見えなくなる。
「千冴! 千冴!!」
怒鳴る声も、届いていない。
地面から伸びた手がしゅるりと伸びて、若の頬や唇を優しく撫でていく。
若は大人しく、されるがままその手を受け止めていた。
桜の根元には、死体が埋まっている。
彼岸花のまたの名は、死人華。
「行くな......!」
若は、柳の見えない何かに向かって、少し微笑んだ。
そして緩慢に、柳の方を振り向いた。
「今だよ、柳」
次の瞬間、若の結界術が発動した。
黒い花がすべて失せ、黒い腕の力が緩む。
柳は絡みついた黒い手を振り払い、即座に立ち上がった。
柄に手をかけ重心を低くし、若の結界術がとらえた空の核に向かって一歩、深く踏み込んだ。
抜刀の鞘走りは、確かに聞こえた。
ピシリと、硝子の砕けるような音がした。
高い悲鳴が響き、それきり、また何も聞こえなくなった。
「大丈夫だった?」
校庭から戻る途中、若は柳を振り向いて、心配するように声をかけた。
「あー......お前は?」
「平気」
「めちゃ撫でられてたじゃん」
「その時のことは意識ないかも。途中から何も分からなくなってたから」
「そうだったんだ?」
若は少し目を伏せて苦笑した。
「なんだか、懐かしい気がして。呼ばれた方で、誰かに会えるような気持ちになって......」
「彼岸花だったしね。死んだ誰かに会えたと思ったんじゃない?」
「そんなに親しい人は、死んでないはずなんだけど」
「彼岸花の花言葉知ってる?「また会う日を楽しみに」だ」
「柳って意外とロマンチストなの? 花言葉とか詩とか詳しいよね」
「冗談。ただの基礎教養だって」
柳は肩をすくめた。
教室へ寄って、荷物を取る。
「でもまぁ、わかかが操られないで済んでよかった。あのまま連れてかれたら、笑い事じゃすまなかっただろうし」
「柳のおかげだよ。呼んでくれたから、途中でちゃんと、正気に戻れた」
「ハハ。ほんとにあんの? そんなこと」
「少なくとも僕は、そう思ったけどね」
若は荷物を背負った。
「じゃあ、行こうか」
「おん。帰りにマック寄ろうぜ」
「それよりドトールがイイ」
「どっちでもいいけど、じゃドトール」
二人で連れ立ち、教室を後にする。
「なぁ、若」
「なぁに」
「お前が連れてかれないで、良かったよ」
柳の言葉に、若は少し目を丸くして、それから、はにかんだような笑顔を返した。