七不思議・伍

2019年11月21日

 何を見たのか、最初はよくわからなかった。
 何を見ているのか理解したとき、祓わなきゃならないと知った。



「月子先生」
 羽仏祈子は、あだ名で呼ばれて顔を上げた。
「あら、柳くん。今日はどうしたんです?」
「先生に、一緒に来てほしくて」
「何の用でしょう」
「七不思議と対峙するときは、生徒一人じゃダメって聞くから」
 羽仏は少し難しい顔をした。
「何を見つけたんですか」
「落ちる、影です」
 柳にしては歯切れが悪かった。
 羽仏は少し首を傾げて、柳の顔を見る。
「行く前に、詳しく聞けますか?」
 柳は困ったような顔をしたが、羽仏のそばに座って口を開いた。
「人が、何度も落下してるんです。最初は俺の見間違いかと思いました。でも、いつも同じ時間に、同じ場所に、人影があるんです。それが、落ちる」
「七不思議のひとつで、聞いたことがあるかもしれません」
「俺も、七不思議だと思って、俺も調べたんです。この学校で前に自殺した子がいないか、事故で落ちた子がいないか。でもだれも、いなかった」
 羽仏は黙って柳の話を聞いていた。
 調べが甘い子でもない。よくよく手を尽くしたうえでの話だろう。
「それで俺、試したんですよ」
 柳の視線は噛み合わないままだった。
「カメラをセットしたんです。動くものがあったら、自動でシャッターを切るやつ。もし、俺の目にしか見えないものならダメかもしれないけど、ひょっとすると、映るかもしれないと思って」
「それで?」
「今日、現像してみたんです。それ見て、俺分からなくなって」
 先を促すように、羽仏はじっと黙っていた。
 柳は一枚の写真を取り出した。
「これ、先生にも見えますよね?」
 羽仏は写真を受け取って、寸の間言葉を失った。
 映っていたのは、長いみつあみの、背の高い男子のシルエットだった。
「......俺ですよね、これ」
 羽仏は写真と柳を見比べた。
 シルエットは、確かに似ている。横顔に見える顔立ちも、近しい。
「......驚きました」
「それで、先生に相談したくて」
 柳の表情は、年齢相応の少年じみて見えた。
 冷静に振舞おうとしているが、内心の動揺はまだ見て取れる。
「大丈夫ですよ。まだ貴方は、死んではいないでしょう」
 柳は少し眉根を寄せた。
「......考えては、いるんです。観察者の姿を取って見せる影なのかもしれないとか、俺が見ていたから、俺の姿になっただけで、本当は違うものなのかもしれない、とか」
 どこか怯えすら見えるような柳の肩を、羽仏はポンと叩いた。
「行きましょう。自分の目で確かめないと、何も前に進みません」
 柳は少しの間羽仏の顔を見つめていた。
 そもそも、背を押してほしくて、。羽仏のもとを訪れたには違いないのだ。
「......こっちです」
 柳は立ち上がり、羽仏を案内するように職員室を出た。


 案内した先は、西校舎の裏だった。
「教室の中じゃ、ないんですね」
「今は、ここからでも見えるんです。最初の何度かは、教室でしか見えなかったんですけど」
 時刻は六時五十分過ぎだった。
 大時計の針ががちりと音を立てて、時を刻む。
 柳はじっと、屋上を見上げていた。
「ねぇ、柳くん」
 名前を呼ばれて、羽仏を見下ろす。
「心当たりがあるんですね?」
 柳は僅かに、眉根を寄せた。
「貴方が落ちる、心当たりがあるんでしょう」
 柳は束の間言いよどんだ。
 口にする無様さを、選びあぐねている。
 だが、聞いてほしいから羽仏を選んだには違いなかった。
「俺、時々、この仕事を辞めたくなるんです」
 静かな吐露だった。
「どうして」
「向いた仕事だと思いますよ。俺はいつ死んだって、誰にも迷惑がかからない。人を守るためだとかいう大義名分背負って死ねるなんて、俺にはもったいないほどだ」
「そんな言い方するものじゃありませんよ」
「だけど、こんなことしてていいのかなと、思うんですよ」
「......こんなこと?」
「空を斬るたび、思うんですよ。あれは、抑圧された感情だ。声にならなかった、誰かの叫びだ。どれだけその在り方が、理不尽でも、暴力的でも、それをまた斬って祓うことは、......本当に、正しいのかな。うるさい人間の口に無理やりガムテープを貼って殺すような、そんな行為だと思いませんか」
 羽仏は柳の頬に手を添えた。
「空に、同情しているのですか?」
「同情とは、違うけど、......だけど、本当に悪いのか、俺最近、分からなくなって」
「柳くん」
 羽仏の声は、凛と響いた。
「貴方、刀はどうしたんですか」
「え」
「どこに、捨てたんですか」
 柳が目を見開いた。
 何かがフェンスを越えるのが、羽仏の目に映った。
 柳の姿をまとって落ちるそれは、真っすぐ地面に落ちて、どすりと、突き刺さった。
 それが何であるか、羽仏にも、柳にも、もう分かり切っていた。
「取りなさい、柳くん」
「……だけど、俺、何のために、戦うのか、分からなくて」
「いいえ。貴方の奥にあるのは、もっと別の感情です。空への、理解なんかじゃない」
 柳は羽仏から目をそらせないままだった。
 柳の後ろで、地面に落ちたものがゆっくりと広がり、人の形を得た。
「貴方の感情は、自棄です」
 羽仏は手を合わせた。
 結界術が発動し、柳を襲おうとした空が弾かれる。
「......ヤケですか? 俺が」
「この状況で、刀を手放せば何が起きるかぐらい、分かっていたでしょう? 空に和解するほどの知能がないことぐらい、貴方も理解しているはずです」
 空が立ち上がり、自分の首を掻き切るようなしぐさを見せる。
 まるで二人を、嘲るようだった。
「......俺は」
 柳は束の間言いよどんだ。
「......ただ、もう、どうにもならないと、思って。嫌気が、さして」
 羽仏に弾き飛ばされた空が、ゆっくりと起き上がる。
 屋上から降り落ちた柳の刀は、まだ地面に刺さったままだった。
「柳くん。どうにもなるも、ならないも、貴方の行動次第です」
 柳の視線は、羽仏と刀を往復した。
「本心では足を止めたくなかったから、私のところに来たんでしょう。貴方の望みは、生きることです」
 柳は寸の間黙っていた。
 その背後から、空が鋭い爪で柳を襲った。
「っ、柳くん!」
 羽仏の死角で、結界が間に合わない。
 だがその攻撃を、柳は身を低く落として躱した。
「......先生」
 そう呼ぶ柳の声に、芯が戻っている。
「援護してもらえますか」
 羽仏を見つめる目に、迷いはなかった。
「勿論です」
 羽仏はにこりと、微笑み、結界術を発動させた。



「ありがとうございました」
 空が無事消滅するのを確認して、柳は深く頭を下げた。
「いえ。いいんですよ」
 羽仏はにこりと笑う。
「元気は、出ましたか」
「元気は微妙ですけど。迷ってたのは、ちょっとすっきりしました」
「ならよかった」
 にこりと羽仏は目を細める。
「またおしゃべりにいらしてくださいね」
「......はい」
 それじゃあこれで、と、柳は刀を佩く。
「ちゃんとその刀、メンテナンスに出すんですよ」
「……はァい」
 どこか間延びした返事は、肩の力が抜けた穏やかなものだった。

© 2019 kikaku_bty
Powered by Webnode
無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう