サイモン【第1話】

2019年10月24日

 壊れた自転車を直してくれた恩人の本性を、多摩は知らない。
 また同時に、奇妙な縁で顔見知りとなった知人の能力を、佐島は知らない。

 彼の名は、市紋悦治といった。

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「あ、おはようございます!」
 早朝、多摩が声をかけると、市紋は朗らかに振り向いた。
「お。おはよう! 今朝も早いね」
「ちょっとこの辺走ろうと思って、早めの出勤です。市紋さんは、もうお勤めですか?」
「いや。釣りの帰り」
「え、こんな時間から?」
「バス釣り。人が多いとできないしな」
「へぇ......」
 ほら、と市紋は道具を見せる。
「この筒が、竿になるんですか?」
「そうそう、簡単に伸びるんだ。最近買ったばっかりで、今日はちょっと具合確かめてみたくて早めに出かけたってワケ」
「バス釣りって、糸垂らしてたらできるんです?」
「いや、結構動き回るから体力いるよ。人とやるもんでもないしな」
「なるほど......」
「相変わらず好奇心旺盛だな」
 市紋は多摩を見下ろして笑う。
「あ、すみません。朝から根掘り葉掘り」
「んや、何事も興味あるのはいいことだよ。今度やってみる? 渓流釣り」
「え、いいんですか」
「道具一式そろえるのにそんなお金もかかんねえし。暇なら遊び行こうか」
 とのやりとりの最中に、電話が鳴る。
「あ、すみません......会社からだ」
「お。呼び止めてごめんな」
「いえ、俺の方こそ! じゃああの、また来ます!」
「またなー」
 自転車にまたがり漕ぎ出す多摩を見送り、市紋は歩き出す。

 その足元に、不意に小さな少女が現れた。
「ん、おいで。ちゃんとおとなしく出来てたな」
 市紋は穏やかに笑って、物言わぬ少女を抱き上げ、頭を撫でた。

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 市紋が帰宅すると、客人はもう起き上がっていた。
「もう動いて平気なのか」
「平気だ」
 そう言って、青年が立ち上がる。
 腹部に深い傷が残っていた。昨日探偵から逃げてきたところを、市紋がかくまった。
 名前は知らないが、コードネームなら知っている。
「辻斬りも、人の子なんだな」
 そう言われて、彼は複雑そうな表情を見せた。
「お前ほど、大した異能には恵まれてない」
「......俺の異能、知ってるのか?」
「知らない。だが人間丸ごとひとりをあの短時間で消せるなら、俺よりは強い」
「そんなもんか......? 俺斬られたら普通に死ぬけど、お前は生きてるだろ」
「それはただの、得手不得手だ。生存にかけては、お前が秀でる」
 それについては否定をせず、市紋は台所へ視線をやる。
 市紋は強弱の議論に、あまり興味がないのか、「それよりおなかすいた?」と、声をかけた。
 そこまで世話になるのは悪いと思ったらしい。辻斬りはしばらく黙っていた。
「いらないなら、作らないけどさ」
「それより、奢る」
「え、朝からやってる店あるのか?」
「食堂がある。そこなら早朝からやってる」
「え、行く行く」
 一宿一飯の恩義だと、辻斬りは言った。
 古風な物言いだが、彼が口にすると妙になじんだ。昨晩、失血気味だった辻斬りに、市紋は肉を食わせた。辻斬りはそれに、深く恩を感じているらしい。
「そこまで言うなら、じゃあ、朝メシ行っちゃうか。朝から外食って、なんか不思議だなー」
「その前に、悪いんだが、着替え借りていいか」
「え」
「この格好で出歩くと、目立つ」
 そういう辻斬りは、黒い着物姿だった。
「それ普段着ってわけじゃないんだな」
「仮装だこんなの」
「こんなの、って......。とりあえずパーカーでいい?」
「なんでもいい」
 市紋が渡した服に、もぞもぞと辻斬りが着替える。
 着替えを終えると、彼はどこか、憑き物の落ちたような顔をした。
「じゃあ、行くかー......」
 気の抜けたような口ぶりで、辻斬りは玄関へ向かって歩き始めた。

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「......朝っぱらから、よく食うね、どこに入ってんの?」
「どこだろ? でも食べていいって言っただろお前。あ、おばちゃん! 豚汁お替りいいですかー!」
「すげぇなー......」
 呆れなのか感心なのか、辻斬りはあいまいな言葉をこぼす。
 市紋はそれに構わず、ぱくぱくと食事を進めた。ぶりの照り焼きに白米。みそ汁は追加料金で豚汁に変えられる。それにたくわんがついて、ごく一般的な家庭の朝食だ。
「やっぱ朝は白米だなー、日本人には米と味噌! って言いたくなる気分だ~」
 上機嫌で卵を注文して卵かけご飯をかっこむ市紋に、辻斬りは不思議そうに質問を投げかけた。
「......妹には、食わせなくていいの?」
 ぴたりと、市紋の箸が止まる。
「あー、......まだ眠いって」
「そう」
 それ以上の質問を、辻斬りは投げかけてこなかった。
 だから市紋も、必要以上にはしゃべらない。
 互いの能力には干渉しない。
 秘密にも干渉しない。
 ただ、目の前で行き倒れていたら助ける。
 そのぐらいの位置での、協力関係だ。
 互いにリスクが一番少ない方法を、選び取っている。
「そういえば」
 不意に、辻斬りが口を開いた。
「週末暇?」
「え」
「ビアガーデンの招待券もらってたの、忘れてた。食い飲み放題のやつ」
「食い飲み放題」
「暇なら連れてくけど」
「行く行く」
「わかった、また金曜ぐらいに連絡する」
「連絡って、どうやって」
「店に来るから」
「分かった。週末までお前もあんまり無茶するなよ」
「わかってるよ」
 辻斬りの携帯が鳴った。
 用事が入ったらしく、二人分の会計を済ませて辻斬りは先に店を出ていく。

 見送る市紋の正面に、やがて一人の幼女が現れる。
 幼女は何を言うでもなく、頬杖をついて、市紋の食事を見つめて、優し気に笑っている。

 市紋もそれを見遣って、穏やかに、目を細めた。

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