クスベ【第1話】

2019年11月05日

「佐島」
 呼ばれて、腕を掴まれた。
 少し低いところに、頭がある。
 タバコのにおいがした。
「どうした」
「歩くのが早い」
「コンパス違ェんだから、当たり前だろ」
「合わせて歩けねぇのかよ」
 どん、と軽く腕を小突かれる。
 むっとしたトーンの声は、女固有のものだ。

 その女を、佐島はクスベと呼んでいた。
 情報屋の彼女の護衛をして、すでに久しい。
 殺したい「鬼」たちの情報を彼女からもらい続けるうち、ひょんなことから彼女を守り始めた。
「チッ」
 彼女は小さく舌打ちをして、ポケットから煙草を取り出す。咥える彼女に、慣れた手つきで火を差し出した。
「会場ではタバコ、やめとけよ」
「俺に指図すんな」
「変に目立っても良くないだろ」
「うるせぇ殺すぞ」
「わかったわかった」
 口は悪くつっけんどんな女には違いなかったが、真実を曲げないところや、荒れた気性ながらも真っすぐに口を利くところは、好きだった。何より彼女は、腕がいい。

「着いたぞ」
 足を止め、そびえ立つタワーを見上げる。
 電飾が施された建物の入り口には、警備員が二人立っていた。彼らは、ドレスアップした佐島とクスベへ視線をやり、声をかける。
「パーティへの参加者ですか」
「はい」
「身分証を」
 クスベが入手した身分証を提示する。警備員は疑う様子もなく、二人をエントランスへ通した。
「どうぞ。パーティは45階です」
「ありがとうございます」
 館内には、同じような警備員が幾人か歩いている。
「監視カメラは?」
「侵入済みだ。俺たちは映らねえよ」
 計画通りの時間に、計画通りのルートを歩く。佐島が目を向けた先の監視カメラは、わずかに横へそれていた。
 ほとんど気にならない程度の間首振りを調整することで、誰もいなかったかのように映像から姿を消す。
 エレベーターもハッキングが完了しているのだろう。二人が扉の前に立つと同時に、すっとドアが開く。
「お前ひとりでも、大丈夫だったんじゃないか?」
 佐島の言葉に、クスベは首を振った。
「侵入は出来ても、脱出が難しい。人間の脚じゃ、時間が足りねぇ」
「同じことを繰り返すんじゃだめなのか」
「時間が足りねぇっつってんだろ。馬鹿は黙ァってろ」
「......可愛くねえなお前は」
 エレベーターが到着した先は、50階だった。本来、カードキーがなければ停止しないよう設計されているフロアだが、クスベにとっては些事に過ぎない。

「行くぞ」
 クスベのヒールの音が、フロアに反響する。
 黒いドレスが似合うと、不意に思った。そんな場合ではないには違いないが、非常口ランプだけが灯る廊下を真っすぐに歩く女の背は、しゃんと伸びている。
 ガラス張りの窓から夜景が見える。そこに、クスベのシルエットが浮かぶ。
 何があってこんな美人がこの家業に着いたのだろうと、思わなくもない。年はまだ若いのに、彼女の放つ鋭い雰囲気は、他人を拒絶するに十分だった。
 無駄な詮索をするつもりは無い。それでも、好奇心はそそられた。
 考え事をする佐島に、クスベは短く声をかける。
「火」
「探知機は?」
「切った」
 ポケットに手を突っ込み、ジッポを取り出した。慣れた手で、火を灯す。
 クスベは深く煙を吸ったあと、咥えタバコでサーバー室へ向けて歩き出した。

 今度の依頼を片付けるにあたって、どうしても、物理でハードディスクが必要だった。遠隔での操作には限界があると判断したクスベは、佐島を伴って現地へ赴いた。
 それが今日だ。
 仔細については聞けていない。
 次に殺す「鬼」の情報を格安で提供することで、話がついている。
「ここだ」
 クスベは立ち止まり、ドアノブに手をかけた。
 だが、びくともしない。
「......おかしいな」
「鍵、かかってるんじゃねェのか」
「警報を切った時に、ここの鍵も一緒に開くようになってんだよ」
「錆びてて、うまく動いてないとか?」
「かもな」
 クスベは舌打ちし、佐島を見上げた。
「やれるか」
「任せろ」
 佐島は服の下から小太刀を取り出した。金属を含まない刃は、クスベの特注品だ。
 抜刀して、扉の隙間に一度切っ先を刺す。
(この幅か)
 真っすぐに断つイメージで、一気に腕を振り下ろす。
 乾いた音がして、内側の金属が割れた。
 軽くドアノブを回すと、扉が開く。
「空いたぜ、お姫さま」
「おう、ご苦労セバスチャン」
「誰だよセバスチャンて」
「執事はだいたいセバスチャンなんだよ。知らねぇのか?」
 冗談を言って唇の端で笑い、クスベはツカツカと部屋の中へ進む。
 コードにまみれて色とりどりに光る機械の群れを、佐島は見るともなしに眺めていた。
 まだ誰かがやってくる気配はない。
 防犯システムは、知られぬままダウンしているらしい。50階のフロアには、ほとんど人影もない。
「あったぞ」
 クスベが声を上げた。
「佐島、支度出来てるか」
「......支度?」
「鬼になれるか」
「......お前を「鬼」にすりゃ、いけなくもないことは、ないけど」
「わかった」
 クスベは頷き、素早くハードディスクを引き抜いた。
 次の瞬間、全館中に響く警報が鳴り響いた。
 耳をつんざくようなアラーム音に、佐島は顔をゆがめる。
「お前、警報機は遮断したって......!」
「ビビんじゃねぇよ。これを抜き出されたら、勝手に全部作動する仕様なんだよ。止められねぇわけじゃねぇが、時間が無駄だ」
「どうすんだ、この状況」
「頭の回転が悪ぃな。何のために、お前を呼んだと思ってる」
 それでようやく、佐島はクスベが何を言わんとしているのか理解した。
「絶対、それ落とすんじゃねぇぞ」
 クスベの身体を、横抱きにして深く息を吐く。
 佐島の肌が、みるみる黒く変色してゆく。額から角が生え、目が金色に変わり、クスベを抱く腕に、白い紋が浮き上がった。
 足に力を込め、深く踏み込む。
「行くぞ」
 囁いた次の瞬間、佐島とクスベは、50階のガラス窓を突き破っていた。
 飛び降りざま壁を強く蹴り、道路を挟んで反対側のビルへ飛び移る。
 足元で建物がひしゃげる感覚があった。だが構う余裕はない。片腕でクスベを抱いたまま、もう片方の腕を向かいのビルへ伸ばす。
 ドン、という鈍い音とともに、佐島は対岸のビル壁に着地した。指の爪をフックのように壁に突き立て、体を固定する。
 クスベが息を殺しているのが分かった。
「怪我ねぇか」
 クスベは佐島を見上げ、ぎこちなく頷く。
「ん......平気だ」
「ディスク、落としてねえよな」
「大丈夫」
「ならしっかり、掴まってろ」
 視界の端を、車が通り過ぎていく。
 吹き抜ける風は冷たく、命綱などないことを思い知らされる。
 佐島は爪の角度を変えた。そのまま外壁をがりがりと引きはがしながら、エレベーターよりやや早い速度で落下していく。
 ある程度の高さまで降りたところで、また壁を蹴り、別の建物へ移動する。
 やがて佐島は、ひっかき傷を残すのをやめ、ゴム毬のように壁の間を跳ねながら、高度を下げ始めた。
 痕跡を残さず、元居た場所から離れていく。

 やがて二人は、人気のない公園へ到着した。佐島は異能力の行使をやめ、クスベを下ろし、服装を整える。
 地面に着くまで、クスベは無言だった。
 大通りを、パトカーが何台も走ってゆくのが見える。だがきっと、徒労に終わるだろう。
「佐島」
「ん」
「ありがとな」
 クスベは洒落たポーチにディスクを仕舞う。今まで下手に動けず、手で持つよりほかなかったらしい。
「ちゃんと説明しろよ。次からは」
「お前ならちゃんと、その場で分かんだろ」
 公園の外套の下、ドレスアップで笑うクスベは、普段よりずっと女らしく見えて、どこか憎めなかった。
「......ったく」
 ため息をつく佐島の前で、クスベはタバコを取り出して咥える。
 佐島はほとんど無意識にポケットへ手を伸ばし、彼女のために、ライターに火を灯した。

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