昔の話
「赤羽さぁ、最近将棋とか好き?」
「え?」
なんでそんな話を振ったのかと問われても、柳はろくな回答を持ち合わせていない。
それを知ってか、赤羽颯太も突っ込んだ質問をしてくることはない。
「君は好きなの? 将棋」
「俺はフツー......てかやったことねェかも」
「ふぅん、そう」
それから何を言うでもなく、割り箸を割る。
赤羽とはタバコ仲間で、サボりたいタイミングが合致しがちなのか、よく顔を合わせた。勤続した最初の年にはもう喫煙室で見かける顔だった気がするから、そう考えると長い仲には違いない。
どちみち紫煙への気遣いが要らない愛煙家同士は、気楽な付き合いだった。
のらくらと躱す赤羽と、すでに人生が燃え尽きている柳では、そうトラブルになることもない。
「赤羽といるとさ、将棋のことたまに思い出すんだよ。いや、俺は将棋だけど、赤羽はチェスかな。うん。チェスっぽい」
「ぽいって何」
「しゃれてんじゃん、何かと」
同じラーメンをすする姿も、赤羽はどこか品がよかった。
本人も自覚はあるんだろう。
涼しい顔で笑って
「まぁそうだね、将棋よりはチェスかもしれない」
と返答してみせる。
「でもなんでそんなことを?」
「同じ間を詰めていく感じがさ、最近はちょっと、似てんだよ」
「へぇ。そうかな?」
自分自身について赤羽が語るのを、ほとんど聞かない。
それは柳も同じで、あまり相手に腹の内を探られるのは好きじゃない。
品の良い赤羽の笑みと、気怠い自分の半笑いは、おそらく同じポーカーフェイスだ。
踏み込ませない一定の領域に、ポーンないし、歩兵を並べている。
(腹の中読み切ることに無関心かっつったら嘘になるけど)
と興味をそそられるのは、同年代の同性から同類の匂いを感じて久しいからだ。
(でもまァ、知らぬが仏の彼岸花ってやつか。知らねーけど)
ポーンと歩兵は眺め合うだけで十分だ。
そう結論付けて麺をすする柳に、ふと、赤羽は笑んだまま言葉を投げかけた
「柳は、老けたっていうか......丸くなったよね」
「え」
「最初喫煙室で会ったときからすると、だいぶ」
前言撤回だ。
あまり互いについて日頃深く話さないものだから、完全に失念していた。
まだ柳がイキがっていた頃のことも、真面目に規律正しく励んでいた頃のことも、覚えているなら話は別になる。
「そんなん言ったら赤羽だってアレじゃん......すげーチャラかったじゃん。どうしたの枯れて」
「人のこと言える?」
「うわやめようぜ赤羽、ここからはアレだって、お互い小学生の文集読み合う時間になるからマジでやめよう、互いに忘れとこう」
「へぇ、嫌な過去なの?」
ニッコリとこちらへ向けられる笑みに、柳は顔を覆う。
「やだもうこのサド笑顔が黒い......」
「はは、ただ質問しただけなのにその言いようはひどいな」
「お前はどうか知らねーけど、俺のアレは黒歴史だから」
「ふぅん」
そう相槌を打つ赤羽は、どこか他人事だ。
読み合いなんてもってのほかだったと呻く柳をしり目に、赤羽は箸を置く。
「じゃ、最近はもうパンクは聞かない?」
「心が歳取ってるから無理......アンタ分かってて聞いてるだろ」
「はは」
「腹立つわ~......」
「......まぁ、どちみち変わる職場だよ」
不意に、赤羽はそう零した。
「命に関わる仕事だから、就く前と後じゃ、同じじゃいられない」
「......どの仕事もある程度はそうじゃねェの? 大人になるプロセスと同じで、職場で人は変わる」
「本心でそう思う?」
「本心かって言われると困るなァ......とりあえず議論したかっただけだから別どっちでもいい」
「無駄に引っ掻き回すの好きだよね」
「無駄ってのは一言多いんじゃない?」
ポケットにタバコがあるか確認する。一箱はまだ残っていた。
「……でもまァ、多少は因果な商売なんじゃねェの」
ジッポを取り出し、火を灯す。
「だいたいこのご時世に人間が刀振り回して戦ってんだし......いや、祓ってんだっけ、どっちでも実質は変わんねェけど。散弾銃でも開発した方がよっぽど理にかなってるって気もする」
「仕事はあまり好きじゃない?」
「今日はやけに食いつくじゃん、腹でも減ってんの?」
ふと、空になったどんぶりを見下ろす。
例えば、いつからラーメン一杯で足りるようになったんだろう、だとか、そんなことはもう覚えていない。
それと同じで、いつから自分が明確に変わったかなんて、仮に指標となる出来事があったとしても、それを振り返ったところで現状が変わるわけでもない。
いつの間にか、ヤニの量ばかり増えている。
「別に......」
赤羽もタバコを取り出した。
メビウスブルーの似合う赤羽の隣で、自分はだいたいマルボロばかり吸っている。
合うようで合わず、遠いようで近い。
ポーンと歩兵がその実無関心に眺め合うこの距離を、どちらかといえば、気に入ってもいた。
「火ィ要る?」
「どうも」
手元に寄せられる赤羽の顔に、柳は、茶髪の好青年を一瞬だけ重ねた。
やがて、赤羽のタバコは、ゆったりと紫煙をたなびかせた。