心中桜:左_二話

2019年10月16日

 この片恋とともに、心中してしまおうと思った。

 左青鈍がふと我に返ると、満開の桜が目の前にあった。
 桜吹雪が美しい。
 凪いだ湖面に、月が映える。
 そのほかには、何もない。
「――あぁ」
 別乾坤とは、この事だった。
 神隠しに遭ったのだと思った。伊伏麟太郎のことを考えてぼうっとするうち、何かが袖を引いた。
 ここはどこだろう。
 季節外れの桜だけが目の前に咲き誇っている。
 仮に神隠しだとして、戻る方法はどこかにあるはずだった。
 神隠しでなかったとすれば、猶更だ。
(いい年した男の独り身なんて、神にさらわれうるだろうか)
 とも、思う。
 左は桜に背を向けて歩き出した。
 いつまでも桜にほうけているわけにもいかない。
 だが数歩行くうち、ふと足が止まった。
(......そうか)
 ここに来る前のことを、少しずつ思い出し始める。
 男と女が結ばれるのを見た。
 伊伏の姿をふと思い出して、自分と彼は永遠に結ばれ得ないことを思い知った。
 それで、苦しくなって。
(......逃げたんだっけ、俺は)
 不意の発作のようなものだった。八年間片恋続きで、気付けば三十路の坂を超えた。虚しくなることは幾度もあったが、その都度それなりに折り合いをつけてきた。
 それが、どうにもたまらなくなったのは。
(空、だろうか)
 討伐すべき怪異を思い、目をすがめる。
 術札が胸元にあるか確認した。問題ない。だが一人で太刀打ちできる敵でもない。
(......伊伏が、いてくれればな)
 一人で彷徨い出たことに苦笑いが漏れる。どのみち迂闊にヘマを踏んだには違いない。
 阿吽が空に付け込まれるなど、失格もいいところだ。
 満月に照らされる道を歩く。桜の並木が、遠くに見える。
 どこにいっても桜ばかりで、人の影は見当たらない。
 時折不意に、胸が苦しくなる。
 伊伏への片恋は今に始まったことではない。この程度の思いは幾度も繰り返してきていた。
 それなのに、今ばかりはどうも、苦しくてやっていけない。
(そばに、空がいる。だから、感情が増幅されているだけだ。対処できる)
 言い聞かせるだけ虚しかった。全く異なる感情が、ふつふつと込み上げて止まない。
「麟太郎は、永遠に俺のものにならないんだ」
 言葉が口を突いて出た。
「いつか、知らない女と結ばれて幸せになる。......なるべきだ、麟太郎は。わかってる、わかってるんだよそんなこと」
 多くの友人を、空との戦で亡くしている。
 その伊伏を気遣う人が少なからずいるのも、知っている。
 あんなに優しい、良い男が、幸せになれぬ道理があってたまるかと、思う。
 だから猶更、自分が彼と結ばれる筈がない。
 それを思うたび、頭が真っ白になる。心の臓が冷え切って、言葉を失う。
(手に入らないならいっそ、縊り殺してしまおうか)
 そんな思いが、胸をよぎった。
 考えたこともなかったが、一度気が付いてしまうとひどく正しいことのように思えた。
(駄目だ。麟太郎は、幸せになるべきだ。あんなに、つらい思いをしたんだから)
 だが悪い考えが、ずぶずぶと胸を塗りつぶしていく。
 そんなことは自分の望みではないはずだ。それなのに、伊伏の首に手をかけて縊り殺す妄想が、頭から離れない。
「......麟太郎」
 名前を、呼んだ。

――――

「――オニちゃん!」
 帰還すると、伊伏が声を上げて駆け寄ってきた。
 月の低い夜だった。
「どこ行ってたん? 急におらんなって、僕びっくりして......」
「ごめん、麟太郎」
「無事で良かったけど......、三日も、どこ行ってたん」
 困惑したように出迎える伊伏の顔を、左はまっすぐに見上げた。
「麟太郎」
 そんな風に呼ばれたのは初めてだったはずだ。
 伊伏は不思議そうに、左を見た。
「......オニ、ちゃん? どないしたの」
 その伊伏に、ゆっくり手を伸ばす。
 左の手が、伊伏の首に触れた。確かめるように、肌を撫でる。
「俺の手より、暖かいんだな」
 目を細める左に、伊伏は戸惑う表情を浮かべる。
「......なんか、おかしいよ、オニちゃん。何が、あったん」
 左は、どこか虚ろ気に笑うだけだ。
「なぁ、麟太郎」
「なに?」
「俺と、死なないか」
「何言うてるの?」
「俺と、心中しよう」
 いうと同時に、左が結界術を使った。
 自分以外のものを拒絶する術だ。至近距離でそんなものを急に使われた伊伏は、たまらず吹き飛ばされる。近くにあった壁に強かに頭と背中をぶつけ、顔をゆがめた。
「ッ、......い、たぁ......」
 身体の均衡が崩れて、膝をつく。
 その胸を左に蹴り飛ばされ、伊伏は床にあおむけに寝転がされた。
「――麟太郎」
 覆いかぶさるように、左が伊伏の身体に乗って、首に手をかける。
「ずっと、お前が好きだった」
 左は困ったように笑っていた。眉根を寄せて、諦めたように笑っていた。
「だけどお前は、俺の手に入らないから。だから、一緒に、ここで死のう。俺もすぐに死ぬから。お前ひとりに、しないから。一緒にさ、死のうよ」
 愛しているんだ、と、左は言った。
 伊伏は苦し気に顔をゆがめた。
「......今、聞きた、なかったなぁ」
 自分の首を絞める左の手に、手を重ねる。
「......それが、君のホンマの望みなら、僕、かまんよ......」
 左が、小さく笑った。失笑と、諦観のにじむ、哀し気な笑い方だった。
「そうか。......無理心中じゃ、なくなったかな」
 きりきりと首を絞める手に力が籠められる。伊伏は苦しくなって噎せるが、手が離れる気配はない。
 伊伏は首を振った。
「......けど、今は、......あかん、よ」
 とっさに手を伸ばして、左の頬をしたたかに殴った。
「ッ......」
 首にかかった手が緩む。
 思い切り腕を伸ばして、左の胸を突き飛ばした。
 左が軽く咳き込んだ。そのうちに素早く身を転がして左から離れて、体勢を立て直す。

 立ち上がった伊伏は、左の背後に、満開の桜を見た。 

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