伊伏の話

2019年10月16日

 久々に自分より背の高い人間に会ったと思った。
 それが伊伏麟太郎に対して最初に抱いた印象だった。
 八年前のことだ。
「どうもー、僕伊伏麟太郎言いますー。気軽にリンちゃんて呼んで~」
 にこりと笑うその男に、頭を下げる。
 初日の新人研修後、寮の部屋割りを与えられて、出会った相手が彼だった。
 騒々しそうだな、というのが、二番目の印象。続いて、友人が多そうだから部屋にはあまり戻ってこないだろうな、と観察が入る。
「はじめまして。左、青鈍です」
「ひだりあおにび? 珍しい名前やねぇ」
「そうですね」
「じゃあオニちゃんやね」
「は?」
「は? やのうてー、あだ名」
 そらきた、と、左は思った。
 友人に恵まれるタイプの、コミュニケーションが得意な人間。自分とは対極だ。
「結構です。左と呼んでください」
「えぇー」
 伊伏は不服げに唇を尖らせる。だが構わずに、部屋の中に入った。
 左右対称の作りでベッドが置いてある。
「僕こっちー!」
 伊伏が元気に片方のベッドに座った。荷物を置いて、ベッドの座り心地を確かめている。
 室内は禁煙とあった。たまにしか吸わないので、あまり困ることもないかと判断する。
 クローゼットを確認していると、
「なぁなぁ」
 伊伏が親し気に話しかけてきた。
「僕の側から見たら、今君、右くんになるん?」
 人懐っこい人間なのだと思う。
 悪い人間でないことも分かる。
 だが、対処できるかどうかで言われると別問題だ。
 わくわくと返事を待つ伊伏には悪いが、左は黙殺を選んだ。


 捜査官と監察官が同室になるのはあまり珍しいことでもない。
 新人のうちは互いに過剰に意識し合って優劣をつけないようにと、あえて人事が捜査官同志・監察官同志の組み分けを避ける場合があるのだと、風のうわさに聞いた。
 妥当な判断だろう。
 人様に対する嫉妬と劣等感は左青鈍のお家芸だ。勤勉な男だが神経質で悲観的なのが、彼の悪癖だ。
「おかえりんさーい」
 二日目の研修を終えて部屋に帰ると、伊伏がベッドの上に寝転んで出迎えた。
「......どうも」
 新歓で出払っているだろう、との読みは外れた。
 伊伏は呑気そうに寝そべっている。
「新歓、行かないんですか」
「行くよー。まだ時間に早いねん」
「そうですか」
 会話はそこで打ち切る。過去のファイルを読みたかったし、今日習ったことのまとめがまだ終わっていない。
「何してるん?」
「いろいろです」
「へー。なぁなぁ、監察官って何勉強するん」
「君とは違うことと、君と同じことです」
「えーはぐらかさんとってよ」
「......札の作り方や歴史について話しても面白くないと思いますよ」
「そないなん、聞かんと分からんやん」
「じゃあ君が新歓から戻ってからにします」
 伊伏はにこっと笑って見せた。
「よろしゅうなー」
 どうせ反故になるだろうと、左は思った。
 新人はべろべろになるまで飲まされるのが関の山だ。その身体で帰ってきてなお講座を聞く元気があるなら、この男はよほど出世するだろうと思う。
「おい、伊伏」
 新人捜査官がドアを無断であけて彼を呼ぶ。
「あ、なん、もう行くん?」
「行く行く、上着持ってきておけよって。俺先玄関行くから」
「はーい、おおきにー」
 支給されたばかりの新品を腕に引っ掛けて、伊伏が布団から起き上がる。
「あ、オニちゃん行かへんの?」
「左です。行きません」
「えー、なして」
「下戸なので」
「ご飯食べるだけでも楽しいと思うけど」
「お気遣いありがとうございます。でもアレルギーも多いですし、持病もありますから。ご迷惑になりたくないので、今日は遠慮します。お誘いありがとうございました」
「えーと......、ほな僕行くな」
「お気をつけて」
 伊伏が友人を追いかけて部屋を出ていく。
 やっと静かになったと、ノートを広げた。


 伊伏が帰ってきたのは、2時を回った頃だった。
「おにひゃぁ、たらいらぁ」
 パタパタと手を振ってにっこり笑う男は、すっかり出来上がっていた。
「......おかえりなさい」
 介護をするために起きていたつもりはなかった。
 それでも伊伏の友人は、ぞんざいに伊伏を手渡した。
「飲ませすぎた、すまん」
「いえ、寝かせるだけなので」
 上背のある伊伏を受け取ると、伊伏の友人は軽く詫びて姿を消した。
 ため息をついて、足を引きずりながらベッドに転がす。明日は多分、二日酔いだろう。
 そうあれるのが、少し羨ましくもあった。人前で羽目を外せるほど、すぐ他人に心を開ける強さは己にはない。
(......まったく)
 始まりそうになる自己卑下を抑え込む。
 人と仲良くしたいという気持ちは格段無い。だが、誰かと談笑できることは、少しだけ羨ましかった。だが自分の性格では到底無理なのを、左は理解している。
 勉強に戻ろうと机へ向かうと、不意に伊伏が起き上がった。
「オニひゃ、」
「......なんですか」
 介護だと思った。
 水を持ってきてほしいと頼まれるか、頭が痛いといわれるか、吐きそうだと呻かれるか。
 だが違った。
「けっかぃの、......札の、はなし。ぼく、帰ってきらさけ、しれくれ、ぇんの?」
 この時点で、左は伊伏の人柄を読み違えていたと自覚した。
(なるほど。目立つ連中だけに好かれたいわけじゃなくて、俺みたいな陰険そうな人間にも親し気にできる善人さまってわけか)
 厄介な人間が同室になったと内心ため息をついた。
「今日は僕が疲れたから。また今度でいいですか」
「やくそくやで」
「はい」
 伊伏は満足げに笑って、すぐにぐぅぐぅと寝息を立て始めた。
 改めて、小さく息をこぼす。 
 祭り騒ぎが好きな人間は早々に自分を無視してくれるから気が楽だった。だが根っからの善人は、気配りができてしまう。
 だから、折に触れて声をかけてくる。
「放っておいてくれれば、楽なんだけどな」
 23歳の春は、順調な滑り出しとは言い難かった。


こじゃかなさん(@sushi_7241)さん宅 伊伏麟太郎くんお借りしました。 

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