七不思議・伍
何を見たのか、最初はよくわからなかった。
何を見ているのか理解したとき、祓わなきゃならないと知った。
何を見たのか、最初はよくわからなかった。
何を見ているのか理解したとき、祓わなきゃならないと知った。
「やっちゃん、聞いとる?」
目の前でぽんと手を叩かれ、我に返った。
「あ......、さーせん、ちょっとぼーっとしてました」
「なんや、疲れとるんやったらまた今度でもええけど」
「やー、全然平気っす」
「ほんまに? ほな説明再開するけど、いつでも無理なら無理て言うてかまへんさかい」
綾杉は柳の顔を心配そうに見つめるも、器具を取り出して見せる。
黒い小ぶりの折り畳み傘に似た道具だった。
「これな、レーダーになっとってん。空の成分みたいな、あの黒いのを感知して距離を測れるようになっとる。力抜いて持ってみて、そばに空がおったらそっちのほう自然と向くんや」
「距離はどのぐらいです?」
...
三春は苦い顔をしてため息をついた。
「......余談のインパクト強すぎて何も頭に残らなかったんだが」
「え、あー......」
柳も、やってしまったとは思ったらしい。
「いやまぁ、俺もほら、若いからさ」
「俺も同い年だが?」
「うっそー三つぐらい上かと思ってたー」
「柳徹。不純異性交遊の相談なら、学担の佐々木先生にしろ。人生の力になってもらえ」
「ハッ、それこそ冗談だろ? あの学担、森谷のお袋とデキてんのに」
「えっ」
「三春喜助、お前何も知らねぇのな......」
脱線した、と、柳は話を戻す。
「先生さぁ、職員室から生徒の教室来るじゃん」
「それが?」
「階段の数とか、数えたりする?」
「シャーロック・ホームズ気取りか」
「どうなの、久保センセ」
屋上の喫煙スペースに、二人の影があった。
停学が解けても喫煙習慣の抜けなかった柳と、女子生徒や美人教師の前では絶対に吸わない久保が、人目を忍んで吸うなら屋上だと相場が決まっていた。
「近頃流行りの七不思議か」
「そう。ただ、「職員室に向かう階段」としか噂がないから、どこの階段かは分からない」
「踊り場に大姿見がある階段なんて、あったか?」
「あるはずなんだよ」
「どこまでが尾ひれでどこが頭かも分からずに、捌いてるんじゃないだろうな」
「ハハ、それは否定できねェけど」
ぷかりと煙を吐く。
丸い輪がぷかぷかと浮いて、夕やみにほどける。
...
放課後の教室に、柳と若が残っている。
「桜の下には死体が埋まってるんだって」
「......なぁに、急に」
「屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて、水晶のような液をたらたらと垂らしている。桜の木は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、イソギンチャクの食糸のような毛根を聚めて、その液体を啜っている」
「誰かの小説?」
「梶井基次郎。知らない?」
「知らない」
自分の席に座った若は、自分の前の机に行儀悪く座る柳を見上げた。
柳は手を伸ばして、ゆっくりと若の髪に触れる。
「こんな風にさ、じわじわ何かの死体を、貪るんだよ。だから桜は綺麗」
「柳は、桜好きなの?」
「好きだよ。綺麗だから。若は?」
「普通かなー。お花見は好きだよ」
時計が六時を打った。
どちらともなく顔を見合わせて、立ち上がる。
「マジか」
慰安旅行参加に必要な個人情報を入力している途中で、声が漏れた。
スプレッドシートの少し上、羽仏祈子の生年月日がある。
初めは見るともなしだった仔細だが、生年を見た瞬間、思考がわずかに停止した。
(すげー......。なんつーか、今月一ショックかも知れん)
名簿のリンクをクリックして、見るともなしに彼女の詳細を眺める。大した情報はなかった。
羽仏祈子。
初対面の印象は品がないので割愛するとして、柳の印象に残っていたのはその美貌だけだった。
...
「柳!」
若が咄嗟に腕を引いた。
それで、自分の片足が結界から出ていたのに気付いた。
「あっぶね......」
周囲は既に、どろどろとした黒いモヤに覆われていた。
画面が激しく点滅したかと思うと、筐体から甲高い笑い声が響く。
「完全に囲まれてるな」
「うん。思ってたよりずっと、多いね」
「それとも、でけぇのかね」
「僕は君の刀なんですよ」
そんな言葉が、隣のベッドから聞こえた。
カーテンの向こうで、どんな顔をしているのかは見えない。
それでも、自分を武器だと語る声は、どこか晴れやかだった。
可愛い子を口説くならまだしも、自分の過去語りなんてそう楽しいものじゃない。
柳と久保渚が出会ったのは2年ほど前の事で、その時の柳は意識がなかった。
意識を取り戻したところで、久保はわざわざクランケを励ましに来るほど交流熱心な医者でもなく、柳も医者に命を救ってくれた礼を言いに行くほどマメな性格をしていなかったため、二人が遭遇したのは、柳が入院してから一か月後、退院許諾が下りた日だった。
しかし、ようやく顔を合わせた久保が柳に投げた第一声は「呆れた生命力だな、もうだめかと思ってたんだが」とのそっけないものであり、それに対する柳の応答も「看護師かと思ったら主治医お前だったのな。若くてびっくり」との率直なものだった。
仕事を終えた柳は、猫のように大きく伸びをした。そしてバディの若へ「なぁ」と声をかける。
「今日定時で上がれそう?」
「当ったり前~♪」
機嫌の良い返事が返る。
「報告書はもう出してるしね。新しい事件でも飛び込んでこない限り、スッキリ定時退社だよん」
「やるじゃん」
柳はスマートフォンの画面を若に向けた。
「このバルさぁ、最近できたんだけどすげぇ評判良くて。今夜の予定どう?」
「空・い・て・る♡」
「マジで~千冴チョー好き。19時半から予約とっていい?」
「もっちろん! 駅近?」
「駅近~」
「最高~」
ぱぁん、と小気味よい音を立てて、二人でハイタッチする。
「へいきーちゃん、火ィ頂戴」
柳は普段通り声をかけたが、三春の返答は陰鬱だった。
「......あー、ごめん。今日はねぇんだ」
力なく笑うそぶりに、柳は眉を顰める。
「......なんかあった?」
「いや、大したことじゃねぇんだけど」
「嘘こけ。大変なことあっただろ」
三春は、深くため息をついて小さく呻いた。
「実は、フラれたんだ」
「マジで? あんなに大事にしてたじゃん?」
「俺、面白みがないんだってさ」
やや俯く三春の背を、柳はぱんと叩いた。
「飲み行こう」
「え」
「どうせ暇だろ今夜」
「暇だけど」
「19時に駅前繁華街な」
「……おう、分かった」
「つまらねー女のことで落ち込むの喜助の人生勿体ねェじゃんか。今夜は死ぬまで飲もう」
「......死んじゃダメだろ」
三春はわずかに、笑って見せた。
...